ここのところブログの更新が滞っているように捉えられているかも知れないが、特に仕事が忙しい訳ではなく、鉄道模型で仕掛品をゴソゴソや、ネットオークションで入手した車両の手入れなど行っていて充実しているのと、趣味のルーティンである県内バス・タクシーウォッチングで出掛ける機会が多かったからで決してネタ切れというわけでは無い・・。ネタは山ほどある(笑)ので、その時のモチベーションと相談して内容を決めている。

 今回はそんな中から昔のアルバム(パソコンのディスクではなく、本当に紙ベースのポケットアルバム)を見て決めた話題。

 

 表題の如く「日野BM320」型小型バス。当地では当時狭隘路線のバス路線が無い環境でこういった小型系の路線バスの存在が無いこともあり、自家用ですら私の活動エリア界隈では走っていることを見たことも無い車両。しかし、当時の趣味の本や機関誌で見ていた写真からその存在だけは知っており、そのスタイルから何故か気になるバスであった。

 時に1988年、職場の同僚と和歌山県へ海水浴へ行った際、道路沿いに留まっていたその小型バスを見つけて「うわっおった!」と叫んだのだが、同僚は私の趣味を知っているので「またなんか見つけよったわ~」と車内は笑いの渦であった。車を留めにくい場所であったことと、宿が近かったこと、それに直ぐに動きそうな気配も無かったので、その時はそのまま宿に向かってもらった・・。

 その後海水浴の傍ら「一寸さっきのバス見て来るわ~」と徒歩で向かったところ、案の定留まっていたのでパチリとさせて頂いたのが次の写真。

 何とも言えないこの顔とスタイルから趣味界隈ではあまりありがたくない、あの虫の名称で呼ばれていた。そう「G(フルネームは自主規制)」である。この個体は海沿いの町らしくマリンスポーツ関係の送迎車なのかロゴがそんな感じ・・。この頃は小型バスのボディメーカーは知る由も無く、いつもバス趣味時のルーティンである銘板を覗かせて頂いた。

 型式は知識で知っていたが、シャーシーメーカーである日野のプレートの下にあるボディメーカーはあの見慣れた「KINSAN COACH」であった。そこで銘板撮影しようと試みたが、窓越しで反射キツく手で影を作って(画像左側がその手の一部・・)一か八か撮るもプリント上がるとこんな写真で情報を読み取ることも出来ず全く使えなかった・・(実車で取り敢えず確認はしていたが、写真撮るし、何より海水浴の出で立ちでメモなんぞは不所持だった。ゆえに型式しか判明していない・・)。

 只、正面ウィンカーの仕様から1972年以前の製造と推測している。また後年気が付いたが前面窓は合掌ワイパーながら、真ん中にピラーなく1枚ものだったのも珍しく感じた。

 

 その数年後、趣味活動で淡路島内めぐりをしていて発見したBM320の廃車体。スタイルからこれも同じく金産コーチというのは分かったが、先の個体と異なり、正面窓ガラスは二分割。そして車内には最前部座席に荷物か何かがデン!と置かれ、またも銘板確認が出来なかった覚えがある。こちらはウィンカーの仕様から1973年以降の型式と推測している。

 淡路島の南端付近の観光旅館の送迎車だったようで、旅館名も鳴門海峡が近い位置ゆえに「鳴門荘」である。

 残念ながらこの個体、2000年代に入ってからの確認で既に撤去されており、今は空き地である。

 私の撮れている実車車両最後は徳島市営バスの本局車庫内に倉庫化されていた同車。当時お邪魔してバスの撮影を進めていると傍らに鎮座していた。御覧の様に車内はモノがビッシリでこの状態では外から銘板を拝見出来るとは思えず、覗いてもいない・・。これもスタイルから金産コーチ製。よく見ると車体裾に「KINSAN COACH」の銘板も残っている。

 さて、このBM320、ご存知の方もおられようが当時の日野提携車体メーカーである金産と帝國(→金産合併後の日野車体→現在のJ-BUS)の2種類があったことを後年知った。画像は所有する自動車ガイドブックから、であるが説明文には「カットスタイル」ということと「T型」と記載されている。ドア横の裾には特徴ある「テイコクボディ」の銘板も映っている。他の資料では金産はちゃんと「K型」と称されているので、正式に「K型」「T型」とあり、どちらか選べたのであろう。しかし、この帝國ボディの顔や姿はいかついだけに尚更「G・・」に見えてしまうのであった・・。

 

 さて、冒頭の3台はいずれも金産コーチということで蔵書のバスラマエクスプレスシリース「金産ボデーのアルバム」巻末の生産車両製造一覧表から拾ってみたものの、該当年式辺りでは先の2台の自家用は見つけられなかった。尤も自家用も法人名が車体に掛かれていなければお手上げであるし、中古車であればさらに深い闇となる・・。淡路島の方は「南淡(なんだん)観光」という法人名が確認出来たが、これが観光バスの事業者名なのか、観光施設の法人名なのかまでは判明出来ずやはり不明であった(緑ナンバー事業者の南淡観光が当時存在したかどうかまでは不明)。地名的には南淡で間違いないと思っていたが、昔の地図と廃車体撮影場所の記憶を照らし合わせると西淡町だったことが分かり、車体に表記されていた地名と合致した。ゆえに南淡観光ではなさそうである…。

 最後の徳島市営のみ1974年に4台口で生産されていた記録を発見、それ以後に生産表に記録がなく、この個体はウィンカーの仕様は1973年以降なのでこの4台口のどれかであろう。

 

 このBM320、模型的にもお手ごろ感があり、いつか1/80サイズで作ってみたい車両である(図面探さないと・・ではあるが)。