明石海峡大橋開通から約四半世紀、気が付けばもう25年も経っていた・・ということで今回はその開通の影で消えていった「淡路フェリーバス(淡路フェリーボート)」を取り上げてみたい。

 同社は1962(昭和37)年創業で、当初は神戸市長田(ながた)区の長田港が神戸側の拠点であったが、その後1キロメートルほど西寄りの神戸市須磨区、須磨港に変更、淡路島の大磯港とを結ぶ航路を運航していた。須磨港も今ひとつ交通至便では無かったことからか、最寄り駅の国鉄(現JR)鷹取駅より送迎バスも運行していた。送迎バスとは言え立派な路線バス形態で6分ほどの行程ながら便数もそこそこあった。

 上の画像は最晩年の鷹取駅のバス時刻表。勿論ダイヤも同社のフェリー運航時間帯に合わせたもので、それなりの乗降客はあったと記憶している。晩年の運賃は大人140円、小児70円。
 さて、このバスだが創業年から考えると結構歴史があるような気がしていたが、取材当時ドライバーさんに伺ったところ、実は意外に最近で1971(昭和46)年からとの事であった。 

 鷹取駅と言えば「国鉄鷹取工場」を外すわけにはいかない。暫し脱線するが上はその工場前の巨大な留置線の様子。ここはいつも色々な車両が留まり見ていて飽きなかった。写真は和田岬専用のキハ35・キクハ35の300番台。またここは車両メーカーの川重で製造された新車群もよく停車しており、雑誌でしか見たことの無い関東の車両も見ることの出来た誠に楽しい場所でもあった。

 「バスのりば」は鷹取駅南口(撮影側)でその昔、乗車していた国電からもバスの姿をよく見ていたのと、祖母の自宅がバス路線上の目の前にあった関係で、神戸市西部方面在住の私もその存在を知っていたのだが、幼少の頃いつも見ていた車は「西工カマボコ」だった(ハズ・・)。当時、明石市営の日野で「カマボコ」ボディーを知ったゆえ、カマボコ=「日野」と思いこんでいた。更に淡路フェリーの3代目以降の車両もずっと日野を採用していたことから尚更そう思っていた(後に神戸市で日野以外にもカマボコがいたことを知り、日野のみの車体ではなかったことを子供ながらに理解していた)が、知人から教えてもらった同社の社史に掲載されていた初代車両が「いすゞBU系(写真からの見立てでは恐らくBU05若しくはBU05D)=川崎旧箱形車体」だったことを知り、そうなると二代目のカマボコのメーカーは実際どこだったのか…と「?」が付きまとうようになったのであった・・。詳しい方にもお聞きするも、未だ不明であり、引き続き調査を続けている。

※このカマボコは1976(昭和51)年1981(昭和56)年の間に在籍しており、この車の情報やそれらしいバスが写っている写真を知っている!等の情報をお持ちの方は是非ともお知らせ頂きたい。

(この写真がその西工カマボコ=日野のイメージで日野ライト、前後ドア(だったと思う)でカラーを淡路フェリーをイメージして頂けるとありがたい。写真は神姫バスで教習車となっていたS44年式RE100で元3474号)

 

三代目以降の使用車両変遷

 私がカメラ片手にバス撮影行脚を初めてから神戸市バス、明石市バス以外で撮れるかも?と思った西工カマボコだったので、どうしても撮影したくここ鷹取駅へ向かうもやってきたのは当時の新型冷房車だった。それでも折角だからと思い撮影しており、今となっては撮影しておいて良かったと思う。

神戸22か2354S56年式日野K-RC301
ご覧のように日野標準車体、関西圏お約束の前後ドア仕様でメーカーズプレートも付いた好ましいスタイル。カラーリングもフェリー会社らしく前面は波を蹴立てるようなデザイン。初代車両が1971年、次の二代目が「神戸22か1321」だったのは覚えているので登録は1976年、この2354が1981年なので、代替サイクルは5年となり、結構代替が早くどおりでカマボコの撮影は間に合わなかったということになる。この車、退役後は関東:栃木方面で自家用ナンバー「栃木22さ1299」に変更されており、そこで第二の車生を過ごした模様。1985.12.31撮影

神戸22か3598:S61年式、P-HT235BA

 4代目でメーカのモデルチェンジでスケルトンタイプとなったが、塗装パターンはそのまま踏襲されている。1991.4.14撮影 

 この写真は鷹取駅前を出発した同車。メーカーカタログ車の塗装変更のようなスタイル。横にちらりと写るY30型セドリックタクシーは今も盛業中の「神戸タクシー」 

Y31型中期型までアイボリー/グリーンのツートーンカラーがあったが、10年近く前に遂に最後の一台が退役し、現行車は黒一色→セドの生産中止でクラセダ・クラコン系も入るようになった。

 上は最近リニューアル工事で閉鎖された須磨水族園(写真奥、高速道路先)東手の国道を横切りフェリーのりばへ向かう同車。途中停留所が無いことと、道路形状の関係からこの国道を境に往復で経路が異なっていた。1991年3月頃撮影。

神戸22か4735:H3年式、U-HT2MMA

 やはり5年で更新され、5代目はフェリー船体の塗装変更により、バスもフェリーと同配色になった。カラーリングの派手さとは異なり、おとなしい仕様は先代から引き継いでおり、方向幕もこの時代で小型サイズ。また確か手動でハンドル付。「貸切」幕も用意されていたと思う。 

 こちらは同車の車内。降車釦もオージの懐かしいタイプでスケルトン車体ながら一昔前の路線バスの車内である。

 こちら後部で大胆な塗り分け。また後部にもエンブレムが付いているのが嬉しいところ。結局、この車の代替が予定されていた?1996年は大橋開通が迫っていたためか、代替されることなく1998年の事業終了まで使用されている。

 上写真はフェリー須磨港のりば。ここは上屋の下になるので、バスの撮影には向かないが、看板表記類や時刻表も絡めて撮影できた。下写真は鷹取駅前。余談だがこの当時この駅前には地元の神戸市バスは一切乗り入れておらず、その後何年も後に漸く市バス路線が開設、乗り入れるようになったが、その際は線路を越えて北側(旧鷹取工場敷地の跡地)に新たにバスターミナルが設置された。

 上は須磨沖を航行するフェリー(船名不明)。逆光補正を掛けたので一寸色調がおかしいが・・。1998年1月撮影。下は須磨港を出航するフェリー美和鶴丸。

 下の写真撮影時はバスのお名残乗車をR・T様と一緒に行ったが、時間の関係でさすがにフェリー乗船までは出来なかった。私自身、過去に数回ここからのフェリーも利用しているが、私の居住地からは明石の国道フェリー(廃止前のたこフェリー)が断然近く、淡路へ渡る際は殆ど明石を利用していたため、淡路フェリーをじっくり見たのはこの日が最初で最後だった。この数日後にはひっそりと消えていったが、今でもCMの「♪海のハイウェイ、淡路フェリー~、あわじフェリーィ~♪」というメロディは頭の片隅に残っている…。

今回の掲載写真、特記以外は1998.3.26撮影。
なお、趣味の大先輩のお話では、この路線で淡路交通も見たことがあるとか・・。検査時の代走や、最晩年の終了間際だったのであろう・・・。

※しつこいようだが、ずっと謎であるカマボコ(だった記憶が強い・・)のフェリーバスの情報を読者諸兄からお待ちしている・・。