この度新カテゴリを立ち上げた。今まで公式ジャンルは「自動車」カテゴリであったが、これは私の中での最優先ジャンル「バス」が無かったために広義な意味で「自動車」にしていたためである。

 元々自動車に限らず乗り物が好きだったので、子供の頃から自動車ネタも話には事欠かない・・・が、それは今でいう旧車カテゴリの車たちの話であり、2000年代以降の自家用車系は働く車を除いて私の中では面白く無くなってきたので、近年の自動車情報には極めて疎く、このカテゴリでは専ら「旧い車」が主人公になることをご了承頂きたい。

 そんな蘊蓄はさておき、初回はトヨタの「コロナ・マークⅡ」を取り上げたい。

 というのも私が免許を取って初めて乗った自家用車がコロナ・マークⅡMX40だったからであり、この車は思い出もたくさんある。それらの話は追々していきたい。

 上は二代目コロナ・マークⅡ、20系であるが当時の「ウルトラマンA」で劇用車として出ていたマークⅡ使用の「タックパンサー」がことのほか好みで格好よく惚れ惚れしていた。只、タックパンサーは2ドアハードトップだったので、幼少の頃からタクシーにも興味を持っていた身としては「自動車はセダン派」ゆえ、そこだけは残念だった。尤もヒーロー物は格好良さが求められることからセダンの採用例はあまり多く無かった。

 また当時はカメラを持っていないので専ら頭の中に記録していく日々であったのでこの20系も写真までは残せなかったが、もう見なくなって久しくなった1989年、そう平成に入ってすぐに偶然見掛けて思わず撮影したもの。オリジナルの「神戸55」も貴重であるが、低グレード車というところも目を惹かれた。個人的にはこの前期型の「泣きそうなテールライトコンビネーション」が最高である。

 実は1981年に県警のパトカーも撮っている。この時は何故か後ろからしか撮っておらず、少々後悔している。この頃の県警表示はステンシル表記でこういった処も好きであった。

 今では見掛けることがほぼ無い「単灯式」の赤色回転灯が懐かしい。

 またこの時にはもう1枚マークⅡのパトカーを撮っているが、これは後期型。少々ゴッテリしてしまった顔になってあまり好きでは無かったが、今となっては撮っておいて良かった。黒のラインが後ろに掛けて斜めに降りていくデザインに好感が持てる。このマークⅡパトは全国的に普及していたので、見掛けた方も多いであろう。昔の図鑑でも警視庁バージョンが載っていた。他、一頃の「太陽にほえろ!」でも七曲署のレギュラー警邏パトでも登場していた(勿論劇用車)。

 

 さて、本題ともいうべき40系の話に移ろう。我が家では1984(S59)年に亡き父が当時勤務していた会社の役員車として使われていた車の払下げを受け、自家用車としていた。それまではこれも中古であるがS49年式のマツダファミリア(FA3PS)だったので、車格が急に上がったようで子供ながらに「オヤジ頑張ったなぁ・・」と感じていたものである。

 我が家の自家用車になった当時、既に走行キロが14万キロを超えていたがすこぶる快調であった。後に免許を取得、私もハンドルを握るようになったが、フェンダーミラーだったおかげで車幅感覚がかなり掴めるようになり車幅ギリギリの狭い道も難なく通れるようになったものである。この頃世間ではようやくドアミラーが登場、またミッションも所謂ATが普及し始めた頃だったが、このマークⅡは元役員車ながらMT、窓の開閉は手巻きハンドルとなかなか私好みの仕様であった。この時の仕様とタクシー好きが講じて今の愛車もMT/窓は手巻きである。

 6気筒M型エンジンは吹き上がりもよく、2速での加速はタクシー並みであった。年式はS54年式でグレードは「L」。

よく職場の同僚から「グランデちゃうんや・・」と皮肉られたが、個人的には大満足だったので気にもならなかったものである。

 ネオクラシックと呼ばれたこのスタイルや顔もお気に入りで、前期型(X30系)よりケジメのついた顔の印象で、グリルもクリアランスランプもカチッとしている。

 上は某解体屋敷地内で二時間ドラマをイメージし事件発生で解体屋に現着(という設定)したところを撮影した劇用覆面車を気取った愛車。

 この三代目も白黒警邏パトとして全国的に登場しているが、撮影の機会が無かったので写真は無い。

 前述の通りこの車には思い出も多く、語り始めると止まらなくなるので、続きは次の機会にしたいが結局私がメインで乗るようになってから例の「1年車検」も何とか頑張り、走行キロ20万キロの時にエンジンオーバーホールも実施、1999(H11)年初頭まで現役であった。

 この写真は同年式同月登録(1979年7月)同士のツーショットで昔阪神電鉄バスの車庫にお邪魔させて頂いた際に撮っていたもの。阪神では珍しい短尺車のBU04で元「神戸22か18-95」で1992年に引退している。

 

 今もこの車をお乗りの方を稀に見掛けるが、もう少し余力があれば残しておきたかった車である・・。