先日アップしたバスコレのB905N=通称B9(ビー・キュウ、ビー・ナイン)、我が家では既にこうなった↓

 IPAのお風呂に浸かってもらって半日でデカールや塗膜が緩くなり古歯ブラシでゴシゴシするとアッサリ剥がれた。

 ここからどうするか・・であるが、その前にモデル登場に鑑みて私が撮影してきた三菱標準車体を架装したB905N(NA含む)の写真から雑感を述べてみたい。

 掲載する写真は年式の旧い順に載せてみた(但し長崎自動車だけは社番からの判断で当時銘板の記録まではしていなかったので、車台番号そのものは未判明)。

 

 上は姫路観光のS46年式で元「姫路22あ・993」であるが、1979(S54)年登録でこれは他社からの移籍車と思われる。撮影時既に抹消後であったが、この当時の再古参はS50年式(これも移籍車くさかった)で、車庫奥に倉庫化して残っていた。車内にナンバー表記が残っていたので元番が判明している。

 下は加古川運送でS48年式。これも再登録であるが、同社は近隣数社の企業送迎を早くから担っており、当時の他の在籍車両共々元企業自家用の緑ナンバー化と推測している。

 B9=所謂「東名ベゼル」と言われている東名急行がB906Rで採用したあの顔が思い浮かべられるが、オプションだったらしく従来からのヒゲ顔も選択可能であった。逆にB8系で東名ベゼルの個体もいるのはご存知の通り。ヒゲ顔だとB8に見えてしまうが、銘板は確認しているので2台ともB9で間違いない。

 これがその長崎自動車。社番からS50年式と判断した。中学の修学旅行で九州を廻った際に出会ったもの。当時からこの顔が好きだったのでしっかりカメラを向けているがなぜドア側から撮らなかったのか当時の自分に聞いてみたい。

 神姫バス2108号でS50年式。フルエアブレーキ採用で型式はB905NAであるが、もうある意味有名どころの元貸切車。同社は伝統的に経年の貸切車に後扉を増設して、中・長距離の路線バスとして運用しており、まだ非冷房の路線車が多かった時代に、エアサス・冷房・ハイバックシートと豪華な路線バスであった。私も何度か乗車しているが、観光バスに乗っている気分だったのは覚えている。

 これもS50年式。日本エアーブレーキ(ナブコ=現ナブテスコ)の自社送迎である、元は姫路の播州交通で元姫路22あ・521(→神戸22か26-83)。撮影は1993年であるが、まだこの頃はこうした中古の観光バスを送迎車とした企業も多く、少し早起きをすれば、かつてのサウンドを楽しめた場所が何か所かあった。またドアから車内を覗かせて頂いたが、観光バス時代の名残もあり、旧さを除けば通勤時、満員電車に揺られながらこれらのバスに乗り換えるとひと時の快適な空間であったことであろう。この個体は前のバンパーを交換しており、オリジナルではなく、純正の顔つきとはやや印象が異なる。

 山口県の防長交通の個体。同社は近鉄系で長年近鉄からのお下がり(日野車)も多数であったが、訪問時にこんな個体もおり、ドアが開いていたが迷わず撮らせて頂いた。ベゼルの存在を無視したかのような巨大な弁当箱型方向幕が路線バスを主張している。

 ここからはS51年式。B9系列も晩年になる。神戸市営では1970年代以降、貸切車は三菱ふそうに限定されコンスタントにその時代の主力車種が入っている。また路線車では既にライトグリーンが採用されていたが、貸切車はローングリーンであるのは当ブログの初回で述べたとおり。またこの2台が神戸市営貸切車菊水塗装のラストである。

 同じくS51年式で上から神姫バス2212・2211号。同社の貸切用B905NAはこの51年式までで、翌年以降はMS513RAの採用となる。上の2212号も晩年の姿であるが、後扉増設無しの路線車となっていた。余談だがこの前1扉、つまり貸切車と同形態の元貸切路線車は学校遠足の応援増車としても適度に使用されており、私も何度か経験している。またこの手は降車合図釦も設置されているため、遠足では悪ガキ(笑)が用もないのに釦を押して乗務員を困らせていた。

 当時の観光バスは補助席が座席両側から「ガッチャン」と降ろせるタイプが大半で補助席MAX使用時は通路がなくなる光景もお約束であった。

 一番下の個体は今は消滅、神姫バス加古川南営業所となっている播神運輸の同年式。というか、元神姫バスの2207号で姫路22あ・602だった車。つまりここに挙げた神姫バスと同期である。播神の創業時は勉強不足で知り得ていないが、大型車は伝統的に元神姫バスが殆どで、経年で一足早く神姫から退役した車両が就役、一世代遅れたラインナップが見られた。同社のB9、私はナンバー付きはこの個体しか撮れずで他は抹消された車を僅かに撮れたくらいである。

 神戸市営1398号でS52年式。神戸市1300番台ラストの局番である。1977(S52)年ということで既に後継のMS5系が登場していることもあり、ライトベゼルがMS系となったがオプションかどうだったかまでは知り得ていない。東名ベゼルよりも更に洗練され、新型のイメージである。

 そしてB9ラストの年であるS54年式。MS系登場の1977年以降、当然ながらB9の販売台数は極端に落ち込み、S52年式の神戸市営からこのS54年式の日本交通までは僅か4両しか出ていない。この2年間にどのタイミングで出たか逆に気になるのでご存知の方はご教示頂きたい。

 さて、この年式は何と言っても偶然ながら採用2社局とも「パノラマデッカの車体」ということで、車体だけ見るとほぼ全員がMS5と答えるのでは無かろうか?

 日本交通がなぜこの年にB9を採用したのかは分からないが、ふそうと関係が密なので在庫整理車を採用した・・という説もかつて伺っている。撮影時は既に第一線を退き、スクールとして活躍していた姿であったが、パノラマのB9が神戸市以外にも存在していたことを知って、少々驚いた記憶がある。

なお、リアスタイルの個体はB9パノラマの初号車の模様で車体番号は「1」であった。

 一方の神戸市営は保守的なのか当時新型のMS5を採用せず、公営ゆえ実績のあったB9にしたのか?それでも車体は当時の新型パノラマデッカは興味深い。日本交通のパノラマの後に造られたので、車台番号は1台分飛んでいるが、車体番号は日交の続番だった(この飛んでいる1台も気になっている個体)。

 神戸市営では局番601~603とされ、この局番蘊蓄は「神戸市バスの交通局番号蘊蓄シリーズ」で追って述べるが、603号は とある資料から分かったのだがB905N型の最終製造車の模様である。神戸市退役後は先にご紹介しているナブコの自社送迎車となって、1990年代でもB9サウンドを響かせていた。後にここも退役、倉庫となって現存していたそうだが、数年前に撤去された情報が入っている。

 

 さて、最初の話題に戻ろう。バスコレのB9、平屋根の車体のどれかにしたいが、前にも述べた通りこうして並べていると「後扉増設」が第1候補になりそうだ・・(予定は未定:笑)。