このシリーズ、ホントに色々話題が広がり、なかなか終点に辿り着けない・・。笑

 今回は以前ご紹介した日本高速バスの近畿車両製のバスから話を引っ張って、その回で少しだけ触れた近年の日野と近畿車両が共同開発した日野二階建てバスの話題(直接名神ハイウェイバスの話題では無いので番外編とした)。

 これは再掲だが、私が唯一近鉄時代に撮れた同車。撮影は1986年1月でたまたま訪れた車庫で寝ていたもの。新製から3年程なので休車では無いと思うがこの車、貸切車としての運用だったので、撮影時期から閑散期ゆえかと思われる。横に写る2台のRVもお休み中の様子。

 さて、この車、まだまだバスマニアが少ない時期のデビューのせいかあまりマニアさんに記録されていないと思われる。私もこの1枚だけなので、当時の書籍にご登場願った。

◎日本バス研究会発行バスファンNo65

 かつて私が所属していた所謂趣味団体の機関誌。今みたいにバスの書籍が書店に並ぶこともなかった時代のバイブルであった。これは私の入会前に発行されていた号で後にバックナンバーを求めたもの。

 この記事によると

「近鉄バス(当時は近畿日本鉄道)鳥飼営業所にデビュー、全高3.79m、全長11.7m、全幅2.49m。一階席22人、二階席33人の計55人乗り。中距離観光バスとして1982(S57)年4月から営業開始」とある。聞くところによれば当初は路線バスとしての計画だったそうだが、構造条件的に認可が難しく貸切で、となった・・らしい。この号にも書かれているが、詳報後日となっていたものの、それが掲載された号は未所持ゆえご了承頂きたい。

◎ヤマケイ発行「バス」

 これも同じ頃発行された書籍であるが、こちらは書店で並んだ商業誌。当時こういったバスの本が書店に並ぶ、なんてことはバスマニア界隈では夢のような話でかなり話題になった。しかしながら、時代背景的にまだまだ趣味目線で見たバスとしての詳しい解説ではなく、如何せん解説そのものや写真に誤りも散見され、よりによって地元のバスが全然違う地方のバスの写真になっていたり・・と購入を躊躇った覚えがあり、今所有する書籍は後年プレミアム価格到来前に知人からお安く譲渡して頂いたもの。同車のカラーの顔はこの書籍で初めて見た(最初の写真でリアから撮った日は、顔が撮れなかったので前にも回り込んでない・・デジカメの今なら間違いなく顔は切れることは分かりながら顔部分の写真は絶対撮っていたであろう)。

 横に写る110系クラウンタクシーは「国際興業」で京阪神では長い間あずき色とアイボリーのツートーンが指定色であったが120系クラウンの頃に黒一色になってしまった。

 

 話を二階建てバスに戻そう。前述の諸元通り高さが3.79mと当時の法律ギリギリの高さ(確か3.8mまでだったかと)であり、二階建て部分を取って付けたようなスタイルが面白い。残念ながら私は乗車経験もなく、撮影日の車内には入っていないのでその様子は実際に見られた方のレポートを待ちたい。

 

◎二階建てバスその後

 近鉄引退後は四国に亘り、真っ赤に塗られ「香川22ゆ・・19」の登録に変わり「瀬戸大橋タワー」送迎車となった。この時も「あの車が四国に!」とバスマニア界隈でかなり話題となっていた。しかし、ここでも私はわざわざ撮影に赴かず、引退したことを知って後悔している・・。

 引退後は某所に引き取られたことが分かり、いつかは撮影出来るだろうと安心していた。しかし、その後長い年月すっかり忘れており、数年前に趣味活動でこの付近を訪れた時にようやく対面している。色は褪せて最早「倉庫」状態に近かったが、30年以上前に見ていたあのバスであった・・。

 よく「日野RE161型改」と言われているが、そうではなく「RE161型をベースに造った」だけであくまでもベースである。この対面から更に数年後、とある界隈からこのバスが消えた!という話を頂き、その話はどうやら事実で最晩年とはいえ何とか撮影出来ていたことに胸をなでおろした。

 もう現車がこの世に存在しないので、銘板の写真も併せてご覧頂きたい。

 シャーシー側は何処にもRE161と打刻されていないのがお分かりかと思う。また車検証上の型式も「シサク(試作)」だったことが詳しい方の後年の調査で判明、同時に車台番号も職権打刻であったことが分かっている(よくあるRE100-40001とかではなく、漢字と数字が混じったもの)。

 

 我が国の外国産二階建てバス大ブームの頃に生まれながら、それら外国車の陰に埋もれ、あまり話題にならずにひっそりと引退、第二の車生も車体の色とは裏腹に決して目立つことなく消えていったバス。こんなバスがこの世に存在していた・・ということを記事に残して番外編を終えたい。

 いずれもっと詳しい方が表れ、車内の様子などが明らかになることを期待して・・。