以前、アリイ/ナカセイ103系の話題の中で、叔父宅が東京にあり・・という件を書いているが、その関係で独身の頃一時期毎年東京へ、家庭を持ってからも千葉・浦安夢の国旅行の際にも叔父宅が拠点になっていたこともあり、東京圏内でかなり趣味活動を行っていたので、それなりに都内の乗り物関係の写真はある。今回はその中から一応馴染みのあった都営バスの話題から。

 

 上は私のフィルムに残っている一番古い都営バスの写真。当時叔父宅は巣鴨車庫の目の前といっても良いほどのトコロだったのでここもなじみ深い場所。

 但し当時の実車について馴染みは無かったようで、遠景で取り敢えず撮影したに過ぎない。左は出庫していく川崎車体のBU05(D?)、右の入庫信号待ちが富士重車体のやっぱりBU05?(神戸近辺はかつて日産ディーゼルは殆ど導入実績が無く、必然的に純正車体の富士重にも知識がないに等しいバスファンもおり、私もその一人…)

 旧そうな右の富士重の車を拡大してみた。局番は不明だがナンバーは「練馬2う?21-90」と読める。ナンバーとウィンカーの様式から、少なくとも1970年以前の年式であろう。拡大して分かったことだが、この車が「2」のシングルナンバーだったとは…そういう意味では我ながらよく撮っていたと思う。巣鴨はいすゞが多かったようで、ゆえにこれもBU05?と思った次第。この2枚は1981年撮影。

 時は移って6年後の1987年。社会人になってからの上京時に、ボチボチ都営バスも美濃部カラーを見なくなってきたことに気づき、思い切って巣鴨車庫へお邪魔させて頂いた。「神戸から旧塗装を撮影に来た」旨の来所を告げると職員の方は「予備車で動いていないけれど、中にいるからどうぞ」…との案内で車庫内に駐機していた個体を撮影させて頂けた。予備車定番の置き方でこの時は3両まとめて置いており、ドア側からの所謂公式写真は残念ながら撮れなかった。いずれもS50(1975)年式のBU04。局番は上の写真がP-C485、下が483。奥の1両は484だったように思うが、他のカットを撮っていないので不明。思えばリアスタイルも撮っておきゃ良かったと後年後悔し続けている。

とはいえ、フィルム時代はなかなかポンポン撮影出来なかったので仕方ない。

 私は都営の青色、所謂美濃部カラーはいすゞしか撮影していないので、他メーカーの近い年式の美濃部カラーをR・T様からご提供頂いた。上は局番不詳だがS49年式ふそうMR410で呉羽車体。下はA-B468、S49?年式RE100で帝國車体?。低床車のようだ。神戸市交ではこの前年、試験的に低床車が数台が入り、この年式で少しずつ導入されている。この2枚は品川ナンバーだが日野は転属による再登録であろうか?

 

 さて、再び時は移って2016年2月、ありがたい?コトに東京出張があり「自由時間」でのバス狙いは個人的に都営の復刻カラーであった。その中でもイチオシは憧れの美濃部カラーである。東京の趣味友達に「都営サイトで運用が確認出来るので参照すれば良いですよ~」と教えて頂き、スマホ片手に渋谷駅へ向かう。折しも、狙いのバスは出発して行ったところであった。さすがに地元民では無いのでそのバスの行程やら所要時間やら全く検討が付かず、ターミナルでバスを整理していた職員の方にお尋ねしたところ、戻ってくる大体の時間を教えて頂だけたので近くの交差点で暫し待つことにした。交差点で待つのは同時にタクシーやらパトカーのチェックも出来るから…であるが。(笑)

 30分ほど経って、向こうからアイボリーの車体が見えてきた。「よしよし」と交差点通過時を取り敢えず撮影、直ぐさまターミナルに戻りもう数カット撮った。エルガにもよく似合う!

 全然違和感がない。アオシマのプラモで塗りたくなってしまう悪い病気が出そうだ。

この復刻エルガを撮影して暫くすると…。

 なんともう一つの復刻カラーであるナックルが登場!ラッキーだった。上は少し間隔が出来るも復刻同士が並んだ様子である。この時はスーツを着たビジネスマンスタイルながら少々小走りに移動し、カメラを構える自分の姿はかなり恥ずかしかった覚えがある。(笑)


 これは1987年撮影のナックルカラーBU04で復刻車との比較写真。先般アップした「川崎車体のリアスタイルに思う・・」で記述した「正面窓下段無し顔」でこれは公営交通によく見られたように記憶する。

 この時撮影出来た復刻塗装は他にもいて、これは茗荷谷駅前を歩いているときに反対車線にやってきた復刻カラー。神戸でこの状態だと撮らないが、遠方遠征中に付き、取り敢えずパチリ!

 

 さて、再び1981年にの巣鴨車庫に戻りたい。上は「こんなんもおるんや…」と何気なく撮っていたスクールのBU04、P-B908、S49年式。当時個人的には「う~ん、やっぱり富士重はなぁ」と思いながら、しかし色合いと路線車との希少性で撮影したと思う。下の写真は「そういえば黄色の都営バスも少ないなぁ」と思い取り敢えず押さえた一枚。車はS55年式のP-H298、K-CLM470。

 この後「都営バスの色が変わる」という話しを新聞かテレビかで当時見たか聞いた覚えがある。それまでの青い美濃部カラーはミニカーやテレビドラマなどでもよく目にしていたので、それなりに馴染みあったので、神戸在住の身ながらちょっと残念に思ったものだ。

 しかしながらこのカラー、地元の方の話しではかなり不評だったそうで、後年早い時期に上に挙げているナックルカラー(緑色と灰色)と呼ばれるモノに再び変わっていった。

 これは私のネガに残っている数少ない黄色の都営バスでK-MP118K辺りと推測。

 1987年夏に東京駅八重洲口で撮った1枚。この時も黄色/赤帯はこの車しか写真が無いので、滞在時間中に他には来見れていなかった模様。局番はK-H152。

 そう言えば初期バスコレのシークレットがこのタイプだったような…。

 これは上とは別の日の1987年の巣鴨車庫前。現場をご存知方はお分かりかと思うが、私はここの歩道橋もよく利用、撮影もそこからである。富士重ながら巣鴨なのでいすゞ車か?取り敢えず下が拡大写真。オマケで気になる右下のタクシーもついでに拡大してみた。ANZEN TAXIのY30型セドリックでこの指定色、後のY31型セドリックまでは確認している。当時はタクシー単体の写真は撮っていなかったので悔やまれるが、後のY31はしっかり押さえた。

 

 今回はこれで終わりであるが、冒頭の巣鴨車庫前の写真と最後の6年後の同場所の写真を見比べて違いを探して頂くのも面白いかも知れない。