アリイのプラモの話題が続くが、幼少のころから「特急・急行」系車両より、いつも身近にいた「通勤・近郊」系車両がことのほか好みだった私はプラレール(トミー)もミニミニレール(バンダイ)もそれらの電車の所有が多く、鉄道模型の世界を知った時も必然的にそうなっていた・・。鉄道模型の世界に足を踏み入れたのは1970年代前半、時代的にはNゲージ黎明期の少し後で、後のNゲージブームはしっかり経験している。しかし、数々出る新製品の花形車両を横目に所有する車両は殆どが103系で一時は有に100両を越えていた・・。20代に入ってから、廻りの趣味の先輩で元々16番(HO)をやられている方も多かったことから、自身も順次16番にシフト、Nゲージは順次整理して今では所有模型の数も逆転している。

 

 16番も当然ながら通勤型が多く・・ではあるが始めた当時はリーズナブルな通勤型もほとんどなく、金属キットが大多数であったので、安価なプラ成形品の機関車・貨車・客車も完成、キット問わずそれなりに集めていた。そんな中、旧中村精密の103系プラキットはプラモ少年だった私には願ってもない製品で、まだ地方の模型屋を散策した際には残っていたり、ネットオークション初期にはまだまだ安かった同製品を少しずつ集めていた。

 話が前後するが、プラモ少年だったので当時模型屋や本屋で見ていた商品(この頃は本屋やスーパーでもプラモを扱っていた店舗も多く、プラモはそれなりに子供の玩具として流通していたのだ)の中にアリイの鉄道シリーズがあり、当然103系も目に入っていたのだが、子供の頃はNゲージャーだったので、いつも横目で見て箱を開けて閉めて・・・の繰り返しであった。当時先頭車以外に中間車も用意されており、確か1個800円だった記憶がある。'80年代にはスーパーのワゴンで投げ売りされていたのも見ているが、当時購入せず後年長い後悔を続けることになる・・。

 前置きが長くなったが、所有する他の16番模型の話はまた次の機会に譲るとして、今回は表題の如く「アリイ・ナカセイの103系」に的を出来るだけ(笑)絞りたい。

 

◇中村精密(ナカセイ)

 

 これがそのナカセイ時代のラインナップ。モハ102がラインナップされていないのとクモハ103が高窓ATC(この当時は準備車)だったのが不思議だが、Nゲージも含め当時はこんないい加減、いや大らかな商品も多かった。NゲージでもKATOのモハ102は製品番号の順番からも分かる通り後からのラインナップであり、16番共々「サハ103」代用で、という考えだったのではなかろうか?

 私は元々Nゲージスタートでこの世界に入ったので、この製品を知ったのは'80年代後半。前述の通りプラモ世代ゆえ、プラ製品に全く抵抗が無く、更にプラが当たり前のNゲージャーだったこともあって、当時の「16番=金属」といわれる方々とは少し考え方が違っていたのも購入に至った結果だったと思う。とはいえ、ブラスのキットも所持しており、金属を否定しているわけでは無い・・只、価格高騰だけがネックなのである。これは模型人口と対するロット数、商品として成り立つ価格など大人の要因が絡むので致し方ないと思ってはいるが、金属製はこのままでは本当の富裕層の方しか買えない模型になってしまう・・と感じている(既にその傾向であるが)。

 単品画像はモハ103の内容で模型でもこの車両が動力車で、モーター入り。プラキットながら当時の「鉄道模型」っぽい収め方や外箱に好感が持てた。車体成形色はウグイス色と呼ばれる所謂山手線色しか見たことがないのだが、手持ちの旧い「TMS」鉄道模型趣味誌の中で’78年9月号(No364)に同社のカラー広告があり「各色発売中!」と謳われている。私の知っている(所持)製品は後期の物なのか?他の成形色をご存知の方はお知らせ頂きたい。

 その後この製品はいつの頃が覚えていないが、有井製作所から鉄道プラモデルとして廉価発売となり、その際に金型が少しいじられたようで、クハの顔つきが変わってるのと、更に待望の?「モハ102」がラインナップに加わっている。しかし通常の電池・モーター走行仕様の動力車はやはり高窓ATC(当時は準備車)顔のクモハで、電車=パンタ付きの印象と1両でも先頭車で遊べるように…という配慮だったのでは?という話が有力である。

 

◇アリイ

 これはアリイ製品になってからの増結用単品群の小箱?でモーター車のクモハ103以外は少し小振りの箱で各形式、成形色が路線毎に用意されていたが、ナカセイの広告にあったエメラルドグリーンは外れている。尤も当時、このタイプの常磐線カラー先頭車は無かったので製品化されておれば今で言うウソ電になってしまうが…。

 またこのシリーズは本格的な鉄道模型も視野にいれていた「鉄道模型入門」というパワーパック、レール、車両4両(クハ2両、モハはユニットの2両)という豪華なセットもラインナップされており、憧れの模型で少年期は買えずであったが、後年社会人になってから購入している。他、この鉄道シリーズは103系以外にも485系やブルートレインも同じような展開であったのは詳しい方ならご存知の通りで、ブルートレインのみは現在も比較的再生産も掛かり、パッケージが変わりながらも流通している。

 上はアリイ製品の組み立て作例から。京浜東北の10両(6+4)を本製品とホビーモデルの初期型中間車との組み合わせで製作しているが、恥ずかしながら途中で浮気ばかりして他の物を作ったりこれに戻ったりで、もう何年も完成に至っていない…。下はモハ102で車体は中間車共通ゆえ、拘るならモハ102の場合ルーバー追加、サハ103にするならルーバー切削が必要となる。

 アリイ(左)とナカセイ(右)を並べた様子で御覧の様に少し顔つきが違う。

 正面下部の細部を見ると、ステップ、手摺り、尾灯の造形が違うことが分かり、個人的には上段アリイの方が好み。

 こちら上はシリーズ旗艦商品であるクモハ103。しかしながらボックスアートは当然「クハ103」。昔のプラモにあった迫力のあるイラストならパンタ付クモハ103になっていたかも?。

 下は10年程前に突如?再生産された同車。この時はマイクロエースブランドになって、価格も¥2300前後で少々お高くなったが時代背景から致し方なかろう。残念ながら貴重なボックスアートは復活せず、何故か近年の写真である。ゆえに既に消滅しているカラーリングはCG?か手書き彩色かで化かしており、遠目では一見分からないが、細かいところに元色が残っていたり、なんと言っても「編成札」でバレバレである。因みに写真の青は「総武線」山手用緑は「京葉線の橙」がベースの様だ。他の黄色、橙は当時は実車がまだいたので一応そのままであろう。

 私は先の京浜東北以外にも、気軽に長編成の103系が揃えられる魅力から、もう長年機会ある毎に入手を続けているが、さすがに中間車の出物がなくネットオークションで当時の何倍もの定価の商品を仕方なく少しずつ揃えていた。

 そこへ来て、これも数年前であるが、ホビダス商品の新製品アナウンス!当時お世話になっていた専門店社主からお聞きして、その定価価格(税込みで¥6000弱だったか)に少しばかり躊躇したが、不足している中間車のみ購入している。

 

◇ホビダス

 成形色は「白」で各線区カラーに塗装し易いような配慮であり、新鮮であるが、一旦薄いグレーなどを吹いた方が透け防止で良いかも知れない。他のパーツ自体は当時の製品と変わっていないが、軟質プラ一体成型のパンタと車輪など一部「鉄道模型」として相応しくないパーツは欠品(最初から入っていない)となっている。尤もこのキットを活かそうという人間は、あのパンタや車輪などが同梱されていても使用しないと思うので当然といえば当然の選択であろう。また新規作成のステッカーも同梱されているが、車体表記はそれぞれのカラーに車番が印刷された感じでここだけは「プラモデル」である。しかし「橙」用が無いのが少し不思議。

 この価格が適正価格かどうかは分からないが、市場にほぼ存在しない中間車が入手出来たのは、ひとまず良かった…と思うしかない。それからまた数年してネットオークションで比較的安くこのキットが出ていたので先頭・中間一箱ずつ購入、この白い車体で6両編成が組めるようになったので、黄色に塗って福知山線6両を目論んでいる(クハの戸袋はちゃんと開けるぞ!)。

 この他にも別の10両他、数編成が静かに竣工の順番を待っている。
 

 そして今般JAMに行かれた方のブログを拝見していて、アリイ103系の再生産を知ったのであるが、何といっても金型紛失となっていたモハ102の床下機器が復活するらしく、金型が出て来たのか新規製作かはわからないが、長年これが原因で中間車再生産がなされなかった、とのことで嬉しい報告である。なお、再生産ではあるが先ずはふるさと納税返礼品からのスタートとかで価格などは未発表の様子。

 私も大いに楽しみにしたい。市場に出ると間違いなく買うので更に未組立品が増えることは確実なようである・・。そうでなくても「アクラスの205系」二編成「プラムの201系」一編成と積みプラもあり「プラム209系」も予約しており、更に未組立ペーパーキットも沢山・・ちゃんと作って行かないと・・。(汗)

 

 最後に実車写真を載せておきたい。

 1981年夏、初めてカメラを持って叔父宅のある東京へ行った際の写真。当時中学生でありこんなアングルで鉄道写真としては全然であるが、本人の中では「本でしか見たことが無かった憧れの高運転台」の103系をカメラに収めることが出来たのでかなり嬉しかった。当時黄色の高窓は確か無かったハズでこれだけであり、JRマークの付いていない正真証明の「国鉄時代」である。橙の「特別快速」看板も格好良かった。

 

 これはそれから約10年後、社会人になってからほぼ毎年上京し、103系を追いかけまくっていた頃の写真で写る車はTC418他である。赤羽の行先も関西人の私は普段あまり見た記憶が無いので新鮮であった。

 こちらは一時期登場した京阪神緩行線の高運転台。上からTc841・848で同じ編成。1994年頃にいきなりの登場?を知人に教えてもらい、当時ラッシュ時のみ運用になっていた103系絡めて早起きした時の写真。京阪神緩行線は103系導入時から一貫して低運転台であったので、この顔の「西明石」は反則である。先のアリイキットでこの編成も目論んでいる・・。

 これら、頭の中で走り回っている編成たちはいつか実現出来た時にまたご披露したい。