※去年の10月に行ったことなのに、文章にするの忘れていました。

三重県に行ってまいりました。


なぜかって?

四八(仮)の聖地巡礼に決まっておりましょう(笑)



まあ、そんなわけないんですが、とりあえずついでという形で行って参りました。「ついで」というにはかなり遠くにあり、到着までに多くの時間を費やしてしまいました。その結果は…また後で語ることとします。

事の発端は、私は毎年名古屋に行くイベントがあり、隣が三重なんだから近いだろう的なノリで行く話しになりました。前年に桃太郎神社に行った二人の戦士達が引き続き付き合ってくました。ホント、バカに付き合ってくれる優しい友人が居てよかったです。いや、マジで感謝。なんせ目的を「四八(仮)の三重県の聖地巡礼」と事前に告げても恐れずに付き合ってくれるんですから。

四八(仮)についてはコチラ


肝心要の聖地がこちら。



もうこの際、この話を文章として書き下ろしてしまいましょう。


「全国各地に、「牛鬼」に関する場所や建物は数多くありますが、この三重県、愛洲の里にある牛鬼の像は、牛鬼の慰霊のために建てられた像なんです。

その昔、この土地の城主、愛洲重明公は弓の名手として名が知られていました。ある日のこと、いつものように、場内で弓の稽古をしていると、西山に顔は牛、体は鬼の牛鬼が現れ、稽古の様子をじっとうかがっていました。重明公は持っていた弓で、その牛鬼を射殺してしまいます。

射殺された牛鬼の恨みは深く、死体からは黒煙が立ち上がり、その煙を吸った重明公の奥方は、不治の病に冒されてしまいました。それを知った重明公は、養生という名目で実家に送り返し、離縁を申し送りました。それにショックを受けた奥方は、自害してしまいます。

怒った実家の北畠家は、軍を起こし、愛洲家は滅亡したと言われています。まあ、自業自得という事でしょうか。牛鬼祭りも開催されるなど、地元では身近な存在として、牛鬼は認知されています。

三重にお越しの際は、牛鬼の像もぜひご覧になってみて下さい。愛嬌のある顔をした牛鬼の像が出迎えてくれるはずですから

完」



重明公最悪…というのはさて置き、「これのどこに恐怖を覚えるのか?」という至極全うな疑問点に関しては今更ナンセンスな話題なので割愛します。ちなみに三重県のシナリオはこれだけです。四八とはこういうものなのです。


で、聖地として何に注目すべきかというと、冒頭の画像に出てきたあの像。あの像のためだけに三重県に行くことになります。なんという愛でしょう。自分でやっていて呆れます。

場所は愛洲の里。

会津"あいづ"ならよく耳にしますが、愛洲"あいす"です。そこんところ間違えると違う県に行ってしまうので気をつけて下さい。

観光案内のホームページ

てかゲームで使われているが画像、南伊勢町の公式ページの写真そのまま使ってんじゃねーのか!?

ふざけんな飯島!

何が現地取材を敢行だ、それは取材じゃなくてただのネットサーフィンって言うんだよ!



…いかんいかん、何熱くなってんだ。

これじゃすっかり向うの思う壺です。冷静にいきましょう。しかもよく見たらちょっと違いました。ごめんなさい飯島さん。早とちりでした。それだけ四八が偉大だということですね、目の錯覚を起こしそうになるくらい。せっかく取材にいったのにこの写真一枚だなんて…いけずです。

ちなみにゲームで語られた歴史説明、この公式ページに書いてありますね。「一体何を取材したのか?」とツッコんではいけません。四八とはこういうものなのです。



天気は生憎の雨。
牛鬼の像を参るためはるばる三重へ。

高速道路で伊勢付近で降りました。

雨なのにも関わらず多くの人が歩いています。どうやらこの近くに伊勢神宮があるようです。あのレベルの観光地になると天気は関係なく大勢の人が吸い寄せられてくるようです。我々は伊勢神宮に行くチャンスを華麗にスルーし、敢えて愛洲の里を目指します。果たして自分達の行いは賢いものなのか…?一般論には左右されない強い心を持って突き進む。

48_mie_01

ナビは奥まった場所に誘導します。剣士のイラストが目に入ります。

48_mie_02

本当にあるんだ…。

48_mie_04

駐車場には一台車がありました。

48_mie_05

これはお客なのか、それとも職員の車なのか…。職員さんだったらこの時愛洲の里は我々が独占していたことになります。そもそも「職員さんの概念」がとか存在するような場所だったのか。どうも四八に取り上げられた事実が、イメージを曇らせてしまいます。

48_mie_03

地図を見ると資料館や喫茶店もあるみたいです。なんだよ、想像していたより圧倒的に普通の観光地じゃないですか。あの動画だけじゃここまで読むのは不可能でした。正直、道中に祠があって適当に牛鬼の像が祀られて終わりレベルだと思ってた。大変失礼しました。

48_mie_07

資料館には当然職員さんがいました。資料館内は撮影等が禁止されていたため画像はありません。特に重明公の話は無かったと記憶しています。そもそも愛洲の里にとって大して重要な人物では無いと思われます。飯島さんに「なぜそこにスポットを当てた?」と聞いてはいけません。四八とはこういうものなのです。

48_mie_06


進んでいくと、牛鬼の像が!!

48_mie_08

いきなりハイライトですか…。

48_mie_10




そっかー。

...これのためにわざわざここまで来たんだ、俺たちは…。

48_mie_09

とりあえず称えておく。

腹も減ったし喫茶店にでも行ってみるか~と観光地らしいことをしようとした矢先、喫茶店はとっくの昔に閉店したことが判明。少なくともこの場所が観光地として認知された頃には店じまいをしている遺跡でした。騙された。


48_mie_11

野生的な道が続く当時の趣をしっかりと残した作りになっており、雰囲気は素晴らしい。

48_mie_12

竹藪の中がとても神秘的に見えます。なんでこんなところにいるのか一瞬わからなくなりそうになります。


48_mie_13

途中で愛洲の里なのか民家なのか判別不能の場所を歩くことになりますが、それも全て計算の内です。あれー?これ道間違った?と思い初めた頃に案内役の看板が立っています。

そして、普通に観光してしまった。
この後オススメの店でご飯食べて伊勢神宮には目もくれず愛知県に戻りましたとさ。



【戦果】
愛洲の里自体はかなり楽しめました!

四八が原因で異様な場所であるイメージを持ってしまいがちですが、全然そんなことはありません。道がかなりアップダウンが激しく、運動不足の方が行ってもいいかもしれません。

ただ世間認知度が低そうでお客さんがあまり来そうもないのが勿体ない。近くに規模も知名度も桁違いな神宮があるのも原因か。これを読んだ四八ファンの方、是非三重にお越しの際は伊勢神宮だけではなく愛洲の里もチラッと寄って行かれてはいかがでしょうか。

牛鬼の像は...御察し下さい。


ああしまった。

職員さんに「四八で知って来た」なんていう酔狂な人が私達以外にこれまで居たのか聞いておけばよかった。ついでに「本当に取材はあったんですか?」と聞きたかった。

というわけで、2017年の聖地巡礼は終わりました。来年はどこにしましょう。

※ちなみに私自身の写真は一枚もありません



以下過去記事
【ニ/四八(仮)】福岡県「トンネル」
【一/四八(仮)】愛知県「桃太郎神社」