母との一週間 その2 | みねあのブログ・ゆく河の流れ

母との一週間 その2

わたしのふるさと青森県の下北半島で独り暮らしの老母は、暮れから首都圏の姉夫婦宅に滞在。来年、ちゃんと引っ越し予定だが、とりあえず今回も「滞在」。なかなか、おひとり様の自由も、美しい空気の地方暮らしも捨てがたいようだが、今回は、はっきり「ひとりも気ままだというのは、強がりだよ」などと言う。ならば、すぐに引っ越ししてくればよいかというと、それもまた踏みきれないようだ。



そんなもんかもしれない。

めんどくさいけどね。。。


身体が元気なうちに動こうよ、と、言われ、納得して、はや◯◯年。

そうこうしているうちにコロナ禍になり、母と私&姉は、ほぼ三年、会えなかった。その間、母、舟木一夫さんの歌に打たれ、三年ぶりの再会は一昨年の春、横浜の神奈川県民ホールでだった。


さてワタクシ、学生のとき第九の合唱に参加して、初日の公演が神奈川県民ホール。いわば私の初舞台♪(笑)。思い出の地でもある。そのときに着た白いブラウスと黒のロングスカートは、母が演奏会用にと用意してくれたもの。その後、ロングスカートは何度も直しながら(笑)、わたしのピアノの本番も支えてくれている。母に感謝。


で、今年。

3月6日の舟木さん川崎公演にいき、更なる感動の嵐を味わった母は、次の予定も決めつつ、私の家に一週間滞在した。今の夫にも感謝感謝である。


新宿駅南口近くのタワーレコードに、舟木さんのパネル展を見に、母を連れて行った。新宿といっても、かつて、よく家族で出かけたのは紀伊国屋書店あたりと小田急百貨店あたり。母にとって数十年ぶりの新宿は、今や様変わりした南口改札付近だけ。それても母は、すごいなあ、よく来れたなあと呟いていた。


実は私も姉も結婚してから西武池袋線沿線に住んでいたので、お出かけは池袋メインだった。両親ともよく、西武だ東武だ芸劇だと出かけたものだが、新宿からは足が遠退いていた。



とはいえ母、90歳になって久しぶりの新宿!

高島屋にも行きたそうだったが、メニエールがあやしい私のために我慢してもらった。ごめんなさい。


また、

私の、今の家の周りを散歩し、行きつけのパン屋さんにも一緒に歩いてみた。

パン屋のおばちゃんに、「若い若い!」と言われた母、またもにっこり。



母と、今の私の家の近くを歩くということ。。


12年前の1月、当時、新潟県新発田市に住んでいたが、前の夫が急逝。わたしはお正月で実家に帰省していたので、その訃報を受けたときは母とふたりだった。

葬儀のあと、母は、少しの間、新発田に滞在してくれた。そのころのわたし、近くの升潟で怪我で飛べず留まっている白鳥を気にかけていて、毎日、お米や野菜を運んでいたが、なんと母も一緒に歩いて通ってくれたのである。


この片翼のオオハクチョウ、駒ちゃんのことは、この年に児童向けの書籍として世にでたが、本の最終的な校了のとき、母にも、チラリとみてもらった。


そんなこんなを思い出す、母との時間。

今の夫は、気配りマックスで、タワーレコードの地図を描いてくれたり、舟木さんのCDやDVDをよい音て聴かせようと、たくさんの汗を流してくれた。丹沢までドライブにも連れていってくれた。


母、わたしは幸せだという。

いや、わたしも幸せだ。


持ちきれないほどの冥土の土産があるねと、冗談を言える時間を噛み締めておこう。

 

みなさんも、ご自愛ください。