僕が佐倉の実家でゆっくりしてる間に、世の中では色んなことが起きていて、何か落ちつきません。
アメリカでのウサマ・ビンラディン氏の殺害。
それを受けて歓喜するアメリカ国民の報道をみると、やっぱり複雑です。
多分、パフォーマンスの部分もあって、全国民の意見がそうなのではないだろうけど、
いくら凄惨な事件を引き起こした元凶がなくなったとしても、人が死んで喜んでいるのを見るとやはり違和感を感じます。
同じような違和感を感じる事件が日本でもここ最近あります。
2008年6月の秋葉原無差別殺傷事件の犯人・加藤被告の死刑判決。
この判決についての日本人の反応は分からないけれど、どう感じているのかな?
東日本大震災から2週間後に死刑判決が出て、「秋葉原事件をこのままで終わらせていいのか」という記事を週刊誌で見ました。
その時から、加藤被告のことが小さい石ころのように心の中にひっかかり始めて…。
いろいろと調べるうちに、
今までのように、この男が気の触れた「残虐」な「悪魔」とは思えなくなりました。
もちろん自分勝手・無責任なやつだとは思うし、腹が立つけど、何を考えているのか対等に向き合ってみたい。
この事件の動機について、自分はこんな考え。
「やり場のない怒り」とか「うまく表せない孤独感」を感じた時に、それを誰かに聞いてもらいたいけど、その人に嫌われるのが怖いし、その人に嫌われたら周りに誰もいなくなっちゃう。
そんな時のはけ口に、不特定多数にツイッターでつぶやいたり、ネット上で表現したり。そんなことは経験のある人が多いと思うけど、それすらも無視されてしまったら?
ネット上であれ自分の唯一の居場所が壊されて混乱!
誰かに自分を見てもらいたいけど、また嫌われるのが怖い。
そんな気持ちの末路の行動?
うまく書けないけど、確実に僕の中にもある感情が悪い方向に爆発したということだと思います。
そして、それを止める人がいなかったことが本当に悔やまれます。
「ネットの世界と現実の世界を混同すること自体がおかしい」と言うのは間違ってると思う。
ネットの世界では、現実がうまくいかない時にそれと同じようなコミュニティーを作れる。それだけの影響力をもつものにまで発展してしまったのだと思います。
伝えたいけど伝えにくい感情があって、
それを言ったら相手に引かれてしまうかもしれない感情があるとしても
直接言えなければ、どんな手段でもいいから、偽りのない「言葉」を、それを伝えたい相手に伝える。
勇気のいることで、自分も、できてない時があるけど、
そんなことだけで、今の日本では、直接的にでも間接的にでも、救われる人が出てくるんだと思う。
そんな中で、
3月、震災によりたくさんの命が失われた中で、生きていられるはずの一人の同い年の若者が命を断たれることが決まってしまうことには、
災害という敵には立ち向かえるけど、得体の知れない心の闇には、それをもつ人を排除してしまうような、
何か釈然としない、不安なものがあります。
かといって、彼が今後釈放されて社会に出たとしても、周りからまっとうな扱いを受けられるのか?という悩みもあって、
どうしたらいい、ということは言えないけれど。
「ボランティア」「思いやり」から更に掘り下げて、「身近な人に同じ目線で接する」ことだけで、誰かの助けになれるのかもしれないな、と思います。
形のみえない、美談にもならないことだけど。
これから、6月8日は忘れられない日になりそうです。
アメリカでのウサマ・ビンラディン氏の殺害。
それを受けて歓喜するアメリカ国民の報道をみると、やっぱり複雑です。
多分、パフォーマンスの部分もあって、全国民の意見がそうなのではないだろうけど、
いくら凄惨な事件を引き起こした元凶がなくなったとしても、人が死んで喜んでいるのを見るとやはり違和感を感じます。
同じような違和感を感じる事件が日本でもここ最近あります。
2008年6月の秋葉原無差別殺傷事件の犯人・加藤被告の死刑判決。
この判決についての日本人の反応は分からないけれど、どう感じているのかな?
東日本大震災から2週間後に死刑判決が出て、「秋葉原事件をこのままで終わらせていいのか」という記事を週刊誌で見ました。
その時から、加藤被告のことが小さい石ころのように心の中にひっかかり始めて…。
いろいろと調べるうちに、
今までのように、この男が気の触れた「残虐」な「悪魔」とは思えなくなりました。
もちろん自分勝手・無責任なやつだとは思うし、腹が立つけど、何を考えているのか対等に向き合ってみたい。
この事件の動機について、自分はこんな考え。
「やり場のない怒り」とか「うまく表せない孤独感」を感じた時に、それを誰かに聞いてもらいたいけど、その人に嫌われるのが怖いし、その人に嫌われたら周りに誰もいなくなっちゃう。
そんな時のはけ口に、不特定多数にツイッターでつぶやいたり、ネット上で表現したり。そんなことは経験のある人が多いと思うけど、それすらも無視されてしまったら?
ネット上であれ自分の唯一の居場所が壊されて混乱!
誰かに自分を見てもらいたいけど、また嫌われるのが怖い。
そんな気持ちの末路の行動?
うまく書けないけど、確実に僕の中にもある感情が悪い方向に爆発したということだと思います。
そして、それを止める人がいなかったことが本当に悔やまれます。
「ネットの世界と現実の世界を混同すること自体がおかしい」と言うのは間違ってると思う。
ネットの世界では、現実がうまくいかない時にそれと同じようなコミュニティーを作れる。それだけの影響力をもつものにまで発展してしまったのだと思います。
伝えたいけど伝えにくい感情があって、
それを言ったら相手に引かれてしまうかもしれない感情があるとしても
直接言えなければ、どんな手段でもいいから、偽りのない「言葉」を、それを伝えたい相手に伝える。
勇気のいることで、自分も、できてない時があるけど、
そんなことだけで、今の日本では、直接的にでも間接的にでも、救われる人が出てくるんだと思う。
そんな中で、
3月、震災によりたくさんの命が失われた中で、生きていられるはずの一人の同い年の若者が命を断たれることが決まってしまうことには、
災害という敵には立ち向かえるけど、得体の知れない心の闇には、それをもつ人を排除してしまうような、
何か釈然としない、不安なものがあります。
かといって、彼が今後釈放されて社会に出たとしても、周りからまっとうな扱いを受けられるのか?という悩みもあって、
どうしたらいい、ということは言えないけれど。
「ボランティア」「思いやり」から更に掘り下げて、「身近な人に同じ目線で接する」ことだけで、誰かの助けになれるのかもしれないな、と思います。
形のみえない、美談にもならないことだけど。
これから、6月8日は忘れられない日になりそうです。


