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bananapeel - バナナの皮

消化できない記憶を吐き出していくゴミ箱です。摂食障害21年目にしてようやく克服。

福岡 天神

先週末は、大阪→福岡→東京→千葉→東京→大阪と移動した。

金曜日は仕事の都合で朝から福岡へ。夕方には終わる仕事だったので日帰りで良かったんですが、せっかくなので一泊して、土曜日は福岡在住の友人と遊ぶことに。

日曜は法事で千葉に行かなければならなかったので、土曜の夜に福岡から東京の実家へ帰省。法事が終わった後は、浜松町で行われていたデザインフェスに行き、夜は東京の相棒といつものカレーを食べ、実家へ移動して夜中まで話し込み、月曜は大阪で仕事があったので昼には大阪へ戻るというハードスケジュール。なんとも濃い週末だった。

赤坂 屋台けいじ ラーメン

金曜日の夜に食べた、警互の交差点に店を出している屋台けいじのラーメン。

赤坂 屋台けいじ 餃子

赤坂 屋台けいじ 焼き鳥

餃子と焼き鳥も食べて、ビールも1杯。どれもおいしかったー。1人だったので、ちょっと入るのに躊躇してしまったけど、隣に座っていたカップルとサラリーマンと話して、福岡らしい夜を満喫した。

赤坂 屋台けいじ

この辺りだと、だるま系列の秀ちゃんラーメンもすすめられて、どっちに行こうか迷ったんだけど、たまにはこんな屋台も良い。

天神

そういえば、ハロウィンだった。
最近の休日の夜ごはんダイジェスト。

栗ごはん、豚汁、牛肉とゴボウとしらたきのピリ辛煮、高野豆腐の含め煮、きゅうりのピクルス

栗ごはん、豚汁、牛肉とゴボウとしらたきのピリ辛煮、高野豆腐の含め煮、きゅうりのピクルス。

レンコン入りシュウマイ、鮭のかす汁、小松菜と舞茸の炒め物、切り干し大根、麦ごはん。

レンコン入りシュウマイ、鮭のかす汁、小松菜と舞茸の炒め物、切り干し大根、麦ごはん。

手作りシュウマイ

シュウマイはレンコンたっぷり。玉ねぎと椎茸と干しえびも入ってる。たくさん作ってお弁当のおかず用に冷凍保存。

2014-10-05 22.46.26

鶏胸肉の唐揚げとカボチャの素揚げの油淋鶏ソース、きのこの炊き込み御飯、豆腐とワカメと油揚げのみそ汁、大学芋、小松菜の胡麻しらす和え。

2014-10-05 22.47.13

とてもおいしくできた唐揚げ。

2014-10-05 22.21.07

大学芋は揚げすぎて、少し固くなってしまった。

炊き込み御飯、しらす入り豆腐とおからのハンバーグ、きのこ炒め、カボチャの煮物の鶏ひき肉あんかけ、レンコンとコンニャクのピリ辛煮、シジミのみそ汁

前の炊き込みご飯の残りに、しらす入り豆腐ハンバーグ、きのこ炒め、カボチャの煮物の鶏ひき肉あんかけ、レンコンとコンニャクのピリ辛煮、シジミのみそ汁。

カボチャの煮物の鶏ひき肉あんかけ

カボチャの煮物を作りすぎて3日目に飽きたので、これまた余ってた鶏そぼろと合わせてリメイクしたらめちゃくちゃおいしくて最高のおかずに。

秋の味覚満喫。あ、まだ秋刀魚食べてないや。
秋ごはんいろいろ
実家の庭

祖母が突然食事を食べなくなって入院したという連絡があり、(もしものことを考えて)会えるうちに会っておこうと、東京に帰省した。

そんなに心配はいらなかったようで、入院してから父と母と弟が毎日食事を食べさせに行ったおかげで、わたしがお見舞いに行った時には食事ができる状態に回復していた。

祖母は、随分前から認知症のまだらぼけ状態で、会いに行ってもわたしが誰だかわからないことも多い。今回はわたしの顔を見てすぐに「あー……リエちゃん」と名前が出てきたし、病院の朝ごはんを食べさせてあげると、一口ごとに「おいしいねえ」「本当においしい」と、わざとらしくこちらを喜ばせようとする余裕すらあった。

認知症の末期で食事を食べなくなるということがあると聞いたので、もう話すらできない状態なんじゃないか?と心配したけど、一時的な症状だったみたいだ。

とはいっても、今年92歳。1年半ほど前から癌も患っているし、100歳まで元気で……というわけにはいかないだろう。でも、妹の時とは違って、その時が近づいていることに驚きも焦りも悲しみも感じず、「そろそろか~」と受け入れている。むしろ、祖母がこんな状態になったからこそ「良かった」と思える複雑な事情もあり、わたしは、祖母の人生がどんな風に終わるのか、そして、その時、残されたわたしたちにどんな影響を与えるのかを見届けるのが、楽しみですらある。

近しい人の死は悲しくて寂しいものだけど、残された人にとって、その経験は、時に、大きな気付きと共にその後の人生を豊かにしてくれるものにもなる。だから、自分が残される側に立った時は、怒りとか後悔とか悲しみに惑わされず、そこにある意味(遺志)を、ちゃんと受け止めたい。

今わたしが大阪に居ることも、摂食障害を克服できたことも、妹の死によって生まれた道だった。そこを歩いていくかどうかは自分次第だけど、遺志や意味を解釈して生まれる想い(わたしが勝手に受け取ったものだけど)と共に歩いてきたからこそ、何十年も超えられなかった壁を超えられたのだと思う。

今回、父が毎日のように祖母の世話をしに行ったというのも、妹の死がもたらした影響だ。二度と顔も見たくないと、祖母が死んでも「絶対にうちの墓には入れない」とまで言っていた父が、毎日のように、時には1日3回も祖母の世話をしに行っていたという。それを聞いて、笑いながら泣いた。

父が数年ぶりに祖母に会ったのは、わたしが大阪に行く直前のことだった。

妹が、癌の末期で死ぬ直前に「おばあちゃんに会いに行けなくて申し訳ない」なんて言ったもんだから、祖母を憎んで頑なに拒絶していたいた父も、「エミがおばあちゃんと別々のお墓になるのは寂しいだろう」と、祖母を受け入れようと思ったらしい。でも、頑固な父だから、自分から会いに行くきっかけを作れなかったのだろう。そこから2年かかった。

わたしが大阪に行くことも何かしら影響したのかもしれない。わたしが「引越す前に祖母に会いに行く」と言ったところ、突然父が「俺も行く」と言い出した。

母とわたしは驚いて顔を見合わせたけど、「余計なことを言ってはいけない」と察し、何も言わず(母と目で会話しながら)父を祖母のところに連れて行った。わたしはいつも通り祖母に接したけど、母は途中で席をはずして号泣していたみたいだ。

認知症で子供のようになってしまった祖母に、過去を償う術はない。

わたしと父も長い間いがみ合ってきたけど、その確執はお互い似ているから故に起こる衝突だということを、早いうちに気づけて良かった……と、改めて思った。普通に通報されるレベルのDV親父だったので、父のことをひどく憎んでいた時期もあったけど、今ではそれを笑い話に出来るくらい、父の中にある感情をコントロール出来ない不器用な子供という一面を受け入れている。

まだまだ、わたしたち家族の周りにはたくさんの確執があって、叔父と叔母(父の妹と弟)も家を出て行方知れずだったりする。そんな状況だからこそ、祖母の人生の終わりが近付いていることを感じて、複雑だけど、何か奇跡が起きることも期待している。

どんなに許せないことがあっても、それでもやっぱり家族は家族。なんだかんだで、わたしはこのめちゃくちゃで不器用な人間だらけの親族が愛しい。祖母の入院と家族の確執