
祖母が突然食事を食べなくなって入院したという連絡があり、(もしものことを考えて)会えるうちに会っておこうと、東京に帰省した。
そんなに心配はいらなかったようで、入院してから父と母と弟が毎日食事を食べさせに行ったおかげで、わたしがお見舞いに行った時には食事ができる状態に回復していた。
祖母は、随分前から認知症のまだらぼけ状態で、会いに行ってもわたしが誰だかわからないことも多い。今回はわたしの顔を見てすぐに「あー……リエちゃん」と名前が出てきたし、病院の朝ごはんを食べさせてあげると、一口ごとに「おいしいねえ」「本当においしい」と、わざとらしくこちらを喜ばせようとする余裕すらあった。
認知症の末期で食事を食べなくなるということがあると聞いたので、もう話すらできない状態なんじゃないか?と心配したけど、一時的な症状だったみたいだ。
とはいっても、今年92歳。1年半ほど前から癌も患っているし、100歳まで元気で……というわけにはいかないだろう。でも、妹の時とは違って、その時が近づいていることに驚きも焦りも悲しみも感じず、「そろそろか~」と受け入れている。むしろ、祖母がこんな状態になったからこそ「良かった」と思える複雑な事情もあり、わたしは、祖母の人生がどんな風に終わるのか、そして、その時、残されたわたしたちにどんな影響を与えるのかを見届けるのが、楽しみですらある。
近しい人の死は悲しくて寂しいものだけど、残された人にとって、その経験は、時に、大きな気付きと共にその後の人生を豊かにしてくれるものにもなる。だから、自分が残される側に立った時は、怒りとか後悔とか悲しみに惑わされず、そこにある意味(遺志)を、ちゃんと受け止めたい。
今わたしが大阪に居ることも、摂食障害を克服できたことも、妹の死によって生まれた道だった。そこを歩いていくかどうかは自分次第だけど、遺志や意味を解釈して生まれる想い(わたしが勝手に受け取ったものだけど)と共に歩いてきたからこそ、何十年も超えられなかった壁を超えられたのだと思う。
今回、父が毎日のように祖母の世話をしに行ったというのも、妹の死がもたらした影響だ。二度と顔も見たくないと、祖母が死んでも「絶対にうちの墓には入れない」とまで言っていた父が、毎日のように、時には1日3回も祖母の世話をしに行っていたという。それを聞いて、笑いながら泣いた。
父が数年ぶりに祖母に会ったのは、わたしが大阪に行く直前のことだった。
妹が、癌の末期で死ぬ直前に「おばあちゃんに会いに行けなくて申し訳ない」なんて言ったもんだから、祖母を憎んで頑なに拒絶していたいた父も、「エミがおばあちゃんと別々のお墓になるのは寂しいだろう」と、祖母を受け入れようと思ったらしい。でも、頑固な父だから、自分から会いに行くきっかけを作れなかったのだろう。そこから2年かかった。
わたしが大阪に行くことも何かしら影響したのかもしれない。わたしが「引越す前に祖母に会いに行く」と言ったところ、突然父が「俺も行く」と言い出した。
母とわたしは驚いて顔を見合わせたけど、「余計なことを言ってはいけない」と察し、何も言わず(母と目で会話しながら)父を祖母のところに連れて行った。わたしはいつも通り祖母に接したけど、母は途中で席をはずして号泣していたみたいだ。
認知症で子供のようになってしまった祖母に、過去を償う術はない。
わたしと父も長い間いがみ合ってきたけど、その確執はお互い似ているから故に起こる衝突だということを、早いうちに気づけて良かった……と、改めて思った。普通に通報されるレベルのDV親父だったので、父のことをひどく憎んでいた時期もあったけど、今ではそれを笑い話に出来るくらい、父の中にある感情をコントロール出来ない不器用な子供という一面を受け入れている。
まだまだ、わたしたち家族の周りにはたくさんの確執があって、叔父と叔母(父の妹と弟)も家を出て行方知れずだったりする。そんな状況だからこそ、祖母の人生の終わりが近付いていることを感じて、複雑だけど、何か奇跡が起きることも期待している。
どんなに許せないことがあっても、それでもやっぱり家族は家族。なんだかんだで、わたしはこのめちゃくちゃで不器用な人間だらけの親族が愛しい。
