8月3日、母親が息を引き取りました。


親子の心の成長記を新聞に時々投稿していて、載せてもらった記事の切り抜きをアルバムにはさんで残してくれてて、

幼少期は愛情もですけど、とにかく真面目に一生懸命、恥をかかないようにと厳しく叱ってしつけして育ててくれました。


なのに親孝行なんてほとんど出来ておらず、期待に応えないばかりか、ごんたで迷惑と苦労ばかりかけてきました。


肺機能が弱り、呼吸自体が出来なくなって息切れして苦しくなり、長い闘病生活となり、ここ2、3年は入院と退院の繰り返しで、入院しないといけないペースが早まっていき、入院期間もだんだん長くなって、とうとう要介護5になってしまっていました。


何度かメッセージのやりとりしていて、

子供のころ、うちが貧乏なのはわかっていたけど、「質屋通いしながらやってこれた」ってことをそのとき初めて知りました。


そして、最後の頃の方に、不意にあったメッセージです。

「◯◯は私の自慢の大事な息子やで」


・・・いたたまりませんでした


こんな愚かな息子で申し訳なさばかりです。

人生には甘えてしまいましたが、

母親に甘えたいと思ったことがなかったので、

可愛らしくはなかったと思います。

それでも産んでくれた感謝、育ててくれた感謝と、おふくろの子供で良かったと思っています。

常に僕たち子供のことを最優先に考えてくれていました。

僕とは違って、もったいない、母として、人としても素晴らしく、かなわない、負けない尊敬の人です。立派すぎる人です。

そんな母親だったから、もっと立派で親想いの息子になるべきなのに・・・

おばあちゃん(母の母)もそうでしたが、怒ることがない、人に優しい、いつも控えめでシャイな母でした。


最後のほう、「楽しく」は少なかったかもしれへんけど、もうひとつの祈りの「楽に」は眠れたみたいで、良かった。


看取られへんかったのも、その時間を削ってくれたひとつの優しさだと思います。


「そんな生やさしいもんちゃう」と言った体の苦しさ、金銭的な不安、精神的にも、

最初のうちは、良くなる、じゃなくて治すための「負けへん」やったけど、あるときから、命尽きるまでは負けへんに変わってたんやと、思う。

きっと穏やかな寝顔するんやろうなと思ってたけど、さすがにきつかったんやろな。それでも全然苦しそうな寝顔じゃなかったから、良かった。

よー頑張ったな。しんどかったな。


送迎バスのある幼稚園もあったのに、送り迎えしてる時間の親子の触れあいを大切にしたいと、わざわざ送迎バスのない幼稚園にしてくれてた母でした。

遠足の弁当箱のフタに、いつもメッセージを付けてくれてた母でした。お弁当の中身よりもそっちが楽しみでした。

高校生くらいからは、何にも言わなくなって、自主性に任せてくれて、優しい母でした。

いつも、言いたいことはストレートに、自分の感情と一緒に、思いやり持ってハッキリ言ってくれる母でした。

結婚前からアイドル歌手のファンクラブに入ってて、ずーっとコンサートも行ってたのに、

突然、亡くなってからのマイケルジャクソンのファンに変わってた母でした(まったくジャンル違うから、いきさつ聞きたかった)。


ちっぽけな親孝行ですけど

今度は俺が新聞に投稿します。(n_n)


母がやってきた、やってくれた証、生き方の集大成と誇れる息子・人にと、魂に刻んで生きます。


お世話になった皆さま、

母のことを、

本当に、

ありがとうございました。

心より感謝を申し上げます。


最期の最後、母に、曇りひとつない光と祈りを、いっぱい贈ってあげてください。