こんにちは。白です。
スピリチュアルとツインレイのお話です。あいかわらず頭のおかしい話なので、苦手な方は自主避難をお願いします。



子供のころは心でものを見るということができていたように思います。
が、成長すると、目で見えるものしか見ないように教育されていきます。
容姿や家柄・学歴、外側に見えるものでしか、人間を測らなくなっていきます。
ゆえに私たちはそれらをよくするよう、延々と努力させられます。
外側に見えるもの、かつ、他人によって価値を認められるもの。
「愛する」技巧は教えられず、「愛される」技術ばかりがもてはやされる。
そうやって私たちは自分の内側に目を向けず、自分ではままならない外側に振り回されるよう、教育されていきます。

歳を取るのが嫌だという風潮があります。
いつまでも見た目が若いことが尊重され、老いるのが悪いことだとされる。
普通であれば、経験を重ねるのはいいことで、歳を取ることは「よく生きてきたね」と賞賛されるべき行為です。
が、歳を取った者は厄介者、醜い者とされる。
今の社会では基本的に「生きる」ことが祝福されていないのです。

目で見えるものしか信じない私たちは、内面を見ることをないがしろにしています。
三次元の肉体に心を収めたせいで、肉体に表れるものしか見ないようにしています。
が、スピリチュアル系の知識によると、人間には肉体の外側にもオーラのような精神体があり、直感や空気によってそれらの情報を受け取っています。
他人に近寄られると何となく嫌な感じがする、人混みにいると疲れるのは、自分と他人のオーラが干渉しているからだそうです。

白州正子さんのお能のエッセイによると、能の舞台では、面を被ったシテが「胸でものを見る」といいます。
お能の面は視野が狭く空間を把握しづらいので、舞台に立つと目以外の空間認識の能力が求められます。

「胸でものを見る」「心でものを見る」とは、共通のことを言っているように思えます。
私たちはもともと目以外の空間認識能力を持っていますが、使わないとじきにそれが失われていきます。
石の時代から風の時代に入り、精神が軽やかになっていくと、次第に目以外で感じた情報がわかるようになっていくのではないでしょうか。
人が持つオーラ、感情や雰囲気、そういうものを察知して心の目が開く人が多くなるのではないでしょうか。

個人的な話をすると、私はもともと、人の好意は何となく察知できる人間でした。
基本的に感情があまりないので、突然動悸がしたり緊張感が走ったりという脈絡のない感情が起きると「人の感情が入ってきたな」と思っていました。
ただ、それは自分の思い込みかもしれないので、相手に確認したことは一度もありません。
人の感情は鳥のようなもので、私の心に飛んできては、また通り過ぎていきます。
私は淡々と感情が通り過ぎるのを待っています。

ツインレイという魂の片割れさんに会って以降、「人の感情が入ってくる」状況が一段と激しくなりました。
一番入ってくるのはツインさんの感情なのですが、最初は「なかなか通り過ぎていかないな」と思っていました。
ツインレイプログラムは恋愛から執着や欲望・情を捨てて、純粋な愛に戻るという過程です。ゆえに互いに巨大な感情に揺さぶられ、強烈な愛情や不安・恐怖など、さまざまな感情を経験します。

ツインさんから入ってくるのはプラスの感情もあれば、マイナスの感情もあります。
胸に穴があいたような切なさが入ってきて、「これを感じていたら大変だろうな」と他人事のように思ったり、相手に拒絶されて何事もなかったように挨拶をしたらどーんと落ち込んだ感情が入ってきて、「なんで傷つけたほうが落ち込むんだよ」と不条理な思いを抱いたりしました。
最近悟ったのは、プラスであれマイナスであれ、ツインレイの感情は互いへの愛情が起点なのだということです。
そのときの拒絶も愛情だったのだな、当時はツインさんのほうが大変だったんだな、と思います。今もそうか。
以前書いたツインさんセコムもあいかわらず稼働していて、うちのツインさんがすごいのか、私の頭がおかしいのかといつも不思議に思っています。
そうやって私たちは「心でものを見る」世界に帰っていくんだなと思っています。