性愛は、現代の科学をもってしても、未だにが多いことだ。

動物だって性愛行動をするから、なんだか原始的なイメージを持たれているだろう。

が、彼らの性愛行動も、なぜそんな行動をするのかは本当は分かっていないのでは。

 

文明の進化に伴って、人はこの性愛というものがひどく押し込められてしまっている。

又、自分の性愛の発現がうまくいかず、そのあり方に満足できない人がほとんどか?

これは適齢期の人々ばかりでなく、ずっと発情期の続く人間にとって大問題だ。

 

 

 

動物たちは、教えられて性愛活動をするのではない。性教育も教えてもらえない。

そしてそれは”種を保存するための本能”だと、簡単な言葉で片づけられることか?

その言葉は、彼らの行動に対する人間の大まかな一つの解釈に過ぎないと思う。

 

人間も動物の一種だから、性愛の謎については同じことだ。

年頃になると肉体も肌も美しくなり、さらに化粧や服装で自分を飾り立てる。

あの手この手で、時には複雑な駆け引きも弄して、異性の気を引こうとする。

 

 

好きな相手と一緒でいたい、愛の巣をつくりたいというのも、動物たちと同じだ。

人間の場合は、結婚式や披露宴を挙げたり、高い金を払って新居に住んだりする。

結婚に関する社会的な慣習・法律・戸籍制度は、それらの行動に沿う形で発展した。

 

近代社会になってからは、人々はそれらの制度を受け入れながら、性愛を成就した。

が、現代になって、結婚にまつわる社会的な仕組みが、人々に合わなくなってきた。

肥大化した制度・コンプライアンス等への忖度が、自由な性愛を潰してしまう。

 

又、人権や権利が細かく保障されるのはいいが、その事も性愛行動を縛ってしまう。

いろいろなハラスメントとして訴えられるのを怖れ、積極的に異性に迫れない。

そして結婚生活が段々と金次第の事となり、結婚への願望もしぼんでしまっている。

 

 

様々な趣味で楽しめる時代になったので、性愛の楽しみは相対的に価値が下がる。

好きなことに血道を上げている間に歳を取り、恋愛・結婚の適齢期をすぎてしまう。

気がつけばおひとり様になった自分がいて、あっという間に終活を迎える歳となる。

 

性愛は謎に満ちた感情・行動だが、今ほどそれが成就することが難しい時代はない。

人々の社会生活の中でそれは抑圧され、時にとんでもない姿で現れてきたりする。

異性に対する”不適切な行為”で、立派な社会的地位を失う人達のなんと多いことか。

 

性愛そのものもゆがみ、フェティシズムとなり、盗撮を楽しむ人間が現れたりする。

社会が性愛に対して、もっとおおらかになっていけば、人々は本来を取り戻せる。

つい数十年前を遡っても、男女間の性愛はもっとおおらかで、夢のあるものだった。

 

今の未婚・非婚・少子化といった問題の影に、実はこの性愛抑圧の闇が潜んでいる。

このことが、近々社会の大きな問題にクローズアップされることは、間違いない。

個々人にとっては国際政治や経済問題より、実はこの性愛の解放が大きい課題だ。