ではでは
人吉駅からスタートです。
駅の写真がなかったので
とりあえず、SLでも… σ(^_^;)
球磨川って日本三急流なんですね。
「隅櫓」と…
大手門の脇を固めるために造られた長屋型の櫓
「大手門横長櫓(多聞櫓)」です。
甲冑がずらりと並んでいました。
続きまして「人吉城歴史館」へ。
ここで100名城スタンプをGETです (^^)♪
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ここは相良清兵衛屋敷の地下室。
地下室に井戸があるのは
世界的に見てもすごく珍しいそうです。
案内図
武家屋敷跡を見たらいよいよ人吉城跡へ (^^)/
こちら「清兵衛門跡」です。
「人吉城跡 登り口」と書かれています。
どんどん進んでいきましょう。
相良神社も素通りしまして… σ(^_^;)
最初に到着したのが「於津賀社跡」。
初代相良長頼の入国前の人吉城主であった
平氏の代官の矢瀬主馬祐を祀る霊社跡です。
こう見ると於津賀社跡の前に
三の丸を素通りしたと思われます σ(^_^;)
実は…
川沿いに行かなかったんですよね。
御下門も水ノ手門も堀合門も
それに石垣の武者返しも見てません (>_<)
全然ダメじゃん ∑(゚Д゚)
と、レポを書く気が失せるような現実…
登城前の予習が足りませんでした。
リベンジ決定ですね σ(^_^;)
それにしても…
時間が経って
自分がどうやって於津賀社跡まで行ったのか
経路があやふやなのも問題です。
いったいどこを通ったんでしょう???
グダグダです… σ(^_^;)
於津賀社跡から見た三の丸の石垣です。
三の丸は二の丸の北・西部に広がる曲輪で
西方に於津賀社と2棟の「塩蔵」
東方の「中御門」の近くに井戸と長屋を配置するだけで大きな広場が確保されていたそうです。
その周囲には当初から石垣は作られず
その他、御先祖堂や太鼓屋、山伏番所があったそうです。
礎石群は板葺きで4間四方の二階建ての護摩堂のものです。
自然の崖を城壁として
「竹茂かり垣」と呼ばれる竹を植えた垣で防御していたとのこと。
三の丸から見た二の丸の石垣です。
それでは、二の丸へ移動します。
こちらは「中御門」です。
二の丸は
江戸時代の初めに「本城(本丸)」と呼ばれていたように
城主の御殿が建てられていた人吉城の中心となっていた場所です。
二の丸北西部の虎口から見た景色です。
天守閣は建てられず
1626年に護摩堂が建てられています。
その他、御先祖堂や太鼓屋、山伏番所があったそうです。
礎石群は板葺きで4間四方の二階建ての護摩堂のものです。
以上、人吉城レポでした (^^)/
全体的にグダグダでしたが…
よく整備もされていますし
緑が豊かで気持ちのいいところでした。
(2014年4月26日登城)