記事にしたいと思いつつ、なかなかまとめることができなかったのでございますが、多く(私の主観)を削ったら何となくまとまったように思いますの。おほほ。








晩年の父(血は繋がっていない)と、「お母さん(私の母であり父の妻)は認知症になって良かったよね。」とよく話した。


周りが完全に認知症と認められるようになるまでの母は、悲観的で攻撃的で自己中心的な厄介な人だった。


昭和一桁世代の父と母であり、表面的には父が主導権を持っており強かったのだが、母は他人をコントロールしたがる性質を持っていた。

父も私もその母の性質に辟易していたのだが、自分の感情をコントロールすることなくぶつけてくる母に対して面倒になって最後は折れる(思い通りにならないと駄々を捏ねる子供を躾けなかったのと同じ)、と言う事を繰り返していたことが今なら分かる。


完全に認知症と認められるまでは『どうしてそんな事をクヨクヨ考えるの?』と言いたくなるような繰り言ばかりで本人も辛かったのかもしれないが、周りも本当にしんどかった。


が、完全に認知症を確認出来た後の母は、クヨクヨ泣き言を言うことも他人を責める事もなく、どんな話でもケラケラ笑う可愛いお婆ちゃんになっていた。


時々よくわからない事を言っていたし娘の私としては少々複雑な思いもあったのだが、グチュグチュ悲観的な事を言ったりキーキーヒステリックに怒鳴り散らす事が無くなったことが有り難かった。


その母の認知症期間を経験して、私は母に対する嫌悪とか憎悪が物凄く薄まっていった。

母の最後を確認した時には心からの涙を流した。


実は、母の死から数年過ぎた今でも時々母の横暴を思い出して怒りが湧き出る事がある。

が、晩年の可愛いお婆ちゃんだった母の笑顔を思い出し、『ま、いっか。』という気になるのであった。


認知症の症状も人それぞれだと思うのだが、母の場合は私の怒りとか憎しみを溶かしてくれた時間だったと思うのである。