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kumikoのブログ

吉田九美子(四柱推命鑑定士・医学気功師・除霊師九氣.遠隔治療技術士)は、人のお役に立つためのブログを書かせて頂いております。人生の歩みの方向性を見失われた方、霊に悩まされておられる方等、様々なお悩みを解決し、アドバイスもさせて頂いております。

皆様ごめんなさいね

本日と明日は大須のお店はお休みをさせて頂きますね


実は吉田家の老人会の旅行の予定が以前からあったのですが、皆仕事の休みが合わず未定のままでした

そしてやっとこの二日間の日程が決定しましたので、急遽行く事となったのです


老人会というのは、吉田家一族の中で、もう私より年上の者がいなくなってしまった為、これから残りの者も年をとっていきますので

将来、会の名前も変えなくていいという事で老人会というネーミングにしました


ほんの20年ほど前までは、80代の叔母を筆頭に私の両親を含め12人の年配の親戚がいました

冠婚葬祭もこの親戚達がきちんと

仕切り、本当にカッコよく頼もしくも見えました

その吉田家を代表する年配の叔父や叔母が皆いなくなり、私が本家の家長となりましたが、誰も相談する人も無く(分家の叔母は一人いて下さりますが、葬儀等の事はあまりお知りではありません)

一番頼りだった父も居なくなりましたので、従兄弟と三人で話をし、吉田家も私達が亡くなる前に永代供養等の決め事をしないといけないねと話し合っていました


皆様もそうですよ

お墓を守ったり、お葬式の段取りだったり

それらを教えてくれる人は、いつかは自分となるのですよ

本当に、他人事ではありません

一度、身内の皆で集まって話すのもいいかも知れませんね


私達が子供の頃は、将来こんな話をしなくてはいけないなんて思ってもみませんでしたが、やはり代を引き継ぐ責任は果たさないといけないのだと、最近気づきました

(^_^)

本日は、従兄弟と私の三人で湯の山温泉に宿泊しています



従兄弟と湯の山温泉駅で待ち合わせ

地元で有名な自然薯のお店でランチを頂きました
品数が多すぎてお写真の画面に入りきりません😅
お料理はどれも大変美味でした



ランチの後は御在所岳ロープウェイに乗り御在所岳山頂へ
途中、珍しい岩石が見えました



でも、山頂はまさにSILENT HILLの世界
下界とは全く違い涼しかったです

本当に、SILENT HILLのテーマソングが流れて来てもおかしくない様な感じでした


帰りのロープウェイも景色を見て
盛り上がり、私達は三人で童心に戻っていました

そして予約をしているホテルに到着
直ぐに♨に入り、夕食となりました


夕食は、食材が大変新鮮で美味でした





夕食の後も源泉かけ流しの♨にゆっくり浸かり骨休め🥰
骨まで休める事が出来ました

明日はどんな予定か従兄弟任せです
本日は、早く休みますね
皆様も、たまには早くお休み下さいね
☺️







私は父親を尊敬しています

父は亡くなりましたが、父の教えや教育は、まだしっかり私の心に息づいているからです


…半世紀以上前、私と兄はよく自宅で火遊びをしていました

マッチで火をつけ、自宅の柱や壁に火をつけて遊んでいました

まだ私が幼稚園に行く前でしたので、多分私が4歳くらい

兄が7歳くらいでした

とにかくマッチで火をつけるのが楽しくて、植木鉢の葉っぱや自宅の塀の中の木にも火をつけて遊んでいました


そこへ父が仕事から帰って来ました

モクモク燃えている植木鉢とマッチを見て、父は直ぐに火の着いた植木鉢を倒し、足で踏んで火を消しました


兄と私は父に思いっきり顔を叩かれました

父は私達の首を掴んで部屋の中に放り込みました

そして父は畳の上に新聞紙を丸めて置き、そこにマッチで火をつけたのです

新聞紙はみるみる燃えて、畳にも火が着きました

私と兄はビックリしてコップに水を入れて火を消しましたが

父が、消すな❗お前らがこの家を燃やすつもりやったんやろ❗

お父さんが代わりに燃やしたろ

お前らの体も燃えろ

と、怒鳴り散らしたのです


私と兄は恐ろしくてわんわん泣き出しました

そして、あの日から私と兄は二度と火遊びが出来なくなったのです

いえ、する事が怖くて出来なくなったのです


私の父は、子育てに全てをかけていたと今だからこそ思えます

子供を叱るのも、常に真剣で

しかも一回でその行為をしないような叱り方をしてくれていました


ですから私と兄は父が怖かったのです


でも、それが親なのです

一生懸命、全霊をかけて子育てをする

そうして育った子は、やはり自分に厳しく筋を通す生き方をするのです

父の母も賢く厳しい人でした

ですから私も、母子家庭にはなりましたが、自分に厳しく生きたかったのです

その姿を見て育つ子は、やはり

生きていく上で、甘さを抜き

逆境に耐えて行く強さを身に付けて大人になるのです


これが父と私の生き様です

ですので、私を見て育った娘二人も、子育てには筋を通す強い親になると思います


親は厳しい方がいいです

親は怖い存在でなければいけません

親として、自信がなければ子供に叱る事が出来ないのです




親の行動を子供は見ています


親は子供の見本である

これは昔から言われてきた言葉です


親は子供のお手本とならなければいけない

おまえがバカな事をすれば

子供も真似をするぞ


私が母親になりました時

父から言われた言葉でした


自分は親としての自覚を持ち、我が子には真っ直ぐな心を持った人になって欲しい

それを想いながら、大好きな子育てをしてきました

でも、人生はそう簡単には流れて行きませんでした

私は、考え方が幼い人間と結婚してしまいました

その夫は父親になってからギャンブルを覚え、あっという間にのめり込み、幼い息子を蹴り上げたりして俺は強い父親だと嘘の威厳を出していましたが、私はこの男は父親として夫として全く価値の無い人物だと分かりましたので、生活を共にする事を拒否し離婚

致しました。

次に出会いました男性とは、私の子供を可愛がってくれましたのと、あのおじさんならパパになってもいいよと子供達が話してくれましたので入籍しました


やがて女の子が生まれましたが、その後、私は手術や入院を繰り返す事となり、健康だけが自慢だった私は、体調が急変しましたら、直ぐに入院が必要とする人生を歩む事となりました


そして生活を共にしてわかった事でしたが、二人目の夫は虐待魔でした

11年間我慢しましたが、毎日の夫の気まぐれ暴力に耐えられなくなり、三人の子供を連れて荷物を持って私達母子は夜逃げをしました

そして直ぐに生活保護の申請を

致しました

体調が悪い体で何度も区役所に足を運び、ボランティアの方もついて下さり何とか申請を受理して頂けました

でも、私は毎日会社に出勤をし

子育ても頑張りました

医療用ミスの後遺症でお腹に激痛が走る時が何度かありました

その痛み止めはモルヒネしか効かず、仕事は営業でしたので、今思いますと大変でした

長女とななは、よく私を心配してくれて、お母さんもう寝たら?とメールで言ってくれましたが、私は我が子には寝顔は見せた事がありませんでした


私は働かなくても生活保護費が入るので、働かなくても良かったのです

区役所でも、体調が悪いのでしたら生活保護費が出ますから会社を退職されたら?と聞かれましたが

私は、母親が働く姿を見て育つ子供と、動けるのに、働けるのに働かずに生活保護費を受け取る母親の姿を見て育つ子では、成長の中身が違うと思いましたので、とにかく働きました


皆様ごめんなさいね

🥲

続きは明日書かせて頂きますね