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kumikoのブログ

吉田九美子(四柱推命鑑定士・医学気功師・除霊師九氣.遠隔治療技術士)は、人のお役に立つためのブログを書かせて頂いております。人生の歩みの方向性を見失われた方、霊に悩まされておられる方等、様々なお悩みを解決し、アドバイスもさせて頂いております。

吉田家の先祖は、福井県の十村の庄屋さんだった


今は亡き父と叔父がよく十村の話をしていました




当時の福井県の、ある土地は吉田家の土地で、その中に三方五湖も含まれていたんだそうだ

と、父は私によくそんな夢の様な話しもしてくれていました


(^_^;)三方五湖が吉田家の土地に含まれる?


それが事実なら本当に面白いお話ね

と、私は胸躍りながらそのお話を聞いていました

実は、父と叔父は今は統合されたと思いますが、十村という名前が無くなった地へ吉田家のリーツを調べに行っているのです

そして、吉田家の先祖様のお墓も見つけ、実家の御仏壇の中にありました謎のお位牌に彫ってあるのと同じ名前を、十村のお寺に保管してある過去帳の中に見つけて来た

と話していました


でも、その時に私も詳しく聞いていれば良かったのですが、とにかく私と父が少し話すだけで母が焼きもちを焼くので殆んど詳しい事は聞けませんでした


いつか母が居なくなったら父に詳しく聞こうと思っていた矢先に、父が亡くなってしまい、その後入院中の叔父に聞こうと思ってましたら

コロナで会えなくなり、やがて叔父も逝去

そんな形で、今は誰も知らない吉田家のリーツを、私と叔父の息子二人の三人で10月15日16日の2日間

福井県へ出向いて来ますので、大須のお店は臨時休業をさせて頂きます


皆さまにはご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません


また、詳しい事が分かりましたら

お知らせ致しますね


父と叔父は、その謎の名前が彫ってあった墓石を山の中で見つけた

とも言っていました

その時は本当に嬉しかったと思います

目標として行くお寺の周りのお宅は

吉田性が多いとも聞いていましたので、知らない親戚もきっと見つかるかも知れません


とにかく、知りたい事が隠されている福井県

三人で行って来ますね

(^-^)








本日、様々な山岳修行に行って帰って来られた行者様から、邪気を払うといわれている火打ち石を頂きました



右の大きな火打石は、黒水晶の水晶柱です
これに左にある火打金を打ち付け
火花を出します



行者様は、私に火打ち石の使い方を丁寧に教えて下さりました

水晶から飛び出す火花は、なんともいえない柔らかい光ですが、それでいて底知れぬ強さを感じました

除霊のお仕事や、陰の気に取り憑かれた方の浄化にも役に立ちます

行者様は、僕の使った物ですがもし良かったらお使い下さい
とおっしゃり、本日三輪山へ知人と登拝されたその帰りに、知人の方と私の自宅までお越し下さりましたが、その知人という方は私のお客様で
本当にお二人には感謝の言葉しか出ませんでした



そして、こちらのお札も頂きました

家内安全のお札です
皆様のお家の中も平安であります様に

今まで、本当に沢山の皆様からご縁を頂き私は過ごさせて頂いています

そして、皆様から頂く励ましのお言葉やお優しいお気持ちが私の支えとなっております
いつも、皆様にこんなに良くして頂いていいのであろうか…
と一瞬戸惑う時もありますが
実は、それでいて安心な気持ちが湧く時でもあるのです

私は皆様の温かなお心やお優しい笑顔を想いながら、これからもしっかりと今の道を歩んで行きたいと思います

行者様、お客様
本日は沢山のお品をお持ち下さり
ありがとうございました
火打ち石は、私の一生の宝物とさせて頂きます

心より感謝致します


ある冊子を読んでいましたら、文章は少ないのですが、内容が大変素晴らしく、全てが私の腑に落ちる言葉が綴ってありましたので、その文章を書かせて頂きますね。


今の時代

この様なお話はもう必要ないかも知れませんが、私は凄く大切だと思いました


智慧(ちえ)と慈悲


お釈迦様は、人間が苦しみから逃れ得ないこの世界を「苦の娑婆(しゃば)」と呼び、人生の厳しい定め、根源的な苦しみである「生老病死(しょうろうびょうし)」の四つの苦しみ「四苦」と、どの様に向き合い、さらに「愛別離苦」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」を加えた八つの苦しみをあるがままに受け入れ乗り越えていく生き方を説かれました。

  それは仏教の二本柱である「智慧」と「慈悲」の実践を持って生きていく菩薩の道です。

「智慧」とは、勉強が出来るとか知恵が豊富だというような事ではなく、我見.我執を離れ、正しく物の道理を見極め、全ての縁によって生かされている心理に気づく能力といえます。

私達は目の前の出来事だけを捉えて、幸せだ、不幸だと一喜一憂しています。一方、他者の苦しみや痛みを自らの痛みとして実感出来ないまま、日常を過ごしているのではないでしょうか。

全ては、我見. 我執に囚われている自分の心が作り出していることに気付くのが「智慧」の働きだといえます。

  一般に「慈悲」といわれますが、「慈」と「悲」はもともと別の言葉でした。

「慈」はインドのサンスクリット語でマイトリーといい、同胞、兄弟、友から派生した言葉で最高の友情をいいます。

「悲」はカルナーで、呻き(うめき)、哀れみや情け、同情を意味する言葉です。

この二つの言葉が合わさって「慈悲」(与楽抜苦(よらくばっく))と漢訳されました。

「慈悲」とは、慈しみの心を持って人々の苦しみを除き、安楽に導いていく菩薩行といえます。


と、ありました。


今は自分が生きていく事で精一杯の人が増えて来た様に感じます。

恩ある我が親の命さえ平気で奪う我が子の事件も度々

そして戦争…

上記の冊子の内容とはかけ離れた現実が今を駆け巡り始めていますね

私はそれが残念に思われて仕方がありません


この文章の内容は、全てではありませんが、私が幼少期の頃  菩提寺の住職様が話された事を記憶しています


住職様は幼いながらに、何て素晴らしい事を話される人なんだろうと

感激しました事も思い出されます


一人でも多くの方が、人の為に何かお役に立てればという気持ちをお持ち頂ければ、また少し世の中の流れは変わるでしょうね


そんな事も想いながら、本日のブログを書かせて頂きました