昨日の続きを書かせて頂きますね
約束もしていない
話してもいない
スーパーへ行く話もしていないのに、認知症を発症している母は
勝手にストーリーを作り上げ
それが現実であるように話し始めるのです
ある日、私は父にお母さんは頭がおかしいよ、病院へ連れて行った方がいいよ
と、話しました
するとやっと父は重い腰を上げ、精神科のある病院へ母親を連れて行きました
が、その支度が大変でした…
母は高価な貴金属を身に纏い、シャネルの香水、孔雀の様な派手を越えた服、そしてこちらも高価なパラソル、ハイヒール、ワニ革のバック…
父が、母に病院へ行くんだぞ
普通の格好をしなさいと言っても聞かず、その辺の人間とあたしを一緒にするな❕と怒鳴り颯爽と出掛けて行きました
父の話によりますと
母は診察中、一生懸命普通を装っていましたが先生との会話が繋がらず、質問の意味が理解出来ないまでに症状は悪化していたとの事でした
それから自宅に帰ってきましても
私との会話の内容も、五分後には忘れていてそんな事あたしは話してない、何でも自分の都合のええ様に話すな‼、九美子の分際で
と、とにかく私を卑下しまくりでした
私は中学生三年生
受験を控えていましたが、勉強するふりするな、さっさとあたしの!ご飯作りや、あたしは寝なあかんからな
無視をしていましたら私の部屋まで来て、夜中まで私を罵り始めて手がつけられず、父は出張続きなのでその頃から何度手首を切ったか分かりません
それでも、やはり父がいましたから死ねませんでした
母の認知は更に進み、自分が今どこを歩いているか分からなくなって来たみたいでした
ですから、外出をしなくなったのです
私は自分の人生を恨みました
どうしてこんな変な母親が自分の親なんだろう…
食事ん作った事は、母は生まれてから一度も無いと思います
ですから祖母がいけなかったのです
何でも母にしていた祖母が亡くなりますと、母発狂
もう認知を超えて、劇的な暴力
そしてそれは錯乱型認知症へと移行して行ったのです
あれから半世紀の間
重い若年性の認知症発症から始まり、薬を食べ過ぎの薬害パーキンソンを発症、それから徐々に朽ち始め十年間寝たきりで、昨年の今ごろ、母親は人間界から去りました
認知症の発症は、まず家族が気付きます
まだ症状が軽いうちに病院を探し通院をして改善してくださいね
私はこれからは何十年も元気でいます
すから皆さまもこれからは何十年も元気でいますね