九年前 私の父が亡くなりました時
父の葬儀 告別式は私が出しました
その時私は兄に、母親の葬儀告別式は兄が出してね と伝えていました
うん、わかったよ
キリスト教式で出すからね と兄は軽く言っていました
そして、母が亡くなっても私には知らせないでねと兄に伝えていました
それは、私が母親とは縁が薄い人生を送っていたからです
母は、私を我が子だとは思わず
兄と私との育て方の差別は尋常ではありませんでした
母親に可愛がって育ててもらった兄は、きっと母を大切に思ってるだろうと思ってましたが、それは違い兄も母の事は私とよく似た感情を持っていました
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父の葬儀は京都の実家で行いました
葬儀当日は、ご近所の皆様も沢山来て下さりました
父が大好きだった実家から送り出してあげたかったので、父も喜んでくれていたと思います
母の葬儀は兄が行うので、母の棺にはこれだけは入れてね
そう言って兄には母の宝物が入った箱の場所を知らせておきました
もちろん、費用は私は一切出しませんと伝えました
それは、父の葬儀費用は私が全額出したからです
所が昨年末兄が急死
もちろん兄は母の葬儀費用は準備も何もしていませんでした
私は、母が亡くなる半年くらい前から菩提寺の和尚様に相談をしていました
前にもブログに書きましたが、私は母親が亡くなった時は、遺影無しで棺だけの直送にします
と和尚様に伝えていました
母親として、私には愛情の欠片も無い人でしたので、葬儀を出してあげたいという気持ちが沸かなかったからです
これは、深い虐待を親から受けた者しかわからない事です
でも、和尚様は私に
葬儀はきちんと出した方が良いですよ
それは、後々になってから出した方が良かったとなるからです
と、何度も私を諭して下さりましたが、私は出来ませんと言い切っていました
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病院から母の遺体を引き取り、葬儀屋さんとお話をしていました時、遺影無しで飾り物も一切無しで葬儀を出せますか?と聞きましたら、
はい、出来ますと私の気持ちを察して快諾して下さりました
でも、亡くなった母の姿を見て
いつも最高の衣類や貴金属を身に付けて意気揚々とした孔雀の様な出立ちの母を思い出してしまったのです
そしてその横には、その母を優しそうな眼差しで見ている父がいつもいました
その時に、私は母親をきちんと送り出す事が父孝行でもあるとも思ったのです
葬儀当日
林乾窓からです
と和尚様が私に白木のお位牌をお渡し下さりました
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すぐに病院に来て下さい
その電話を受けてから今日で4日が経ちました
4日前の今頃は、京都へ向けて私は高速道路を車で走っていました
その景色が、まだ走馬灯の様に私の周りを回っています
母を亡くしたという実感
私はまだ持ててないかも知れません
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