私は、幼少期からこの言葉を父からよく聞かされ育ちました
遅い事は誰にでも出来る
人より偉くなりたいと思うなら、物事はこうすれば結果はどうなるかを考えて行動しなさい
まだ、私は幼稚園にも行っていない頃から父の教育は大変厳しいものでした
出張が多かった父は、自宅にいる間はほとんど私への一般常識の教育に時間を費やしていました
当時、こんな事がありました
父と二人で出掛けました時、昼食を食べる為、おうどん屋さんに入りました
父は私にも一人前のきつねうどんを注文してくれました
すぐに熱々のきつねうどんが二つ運ばれて来ました
店員さんが、お子様にお椀をどうぞと小さなお茶碗を私に渡して下さりましたが、父は いや、いらない
このまま食べさせます
といい、私は大人と同じどんぶりの器のきつねうどんを食べました
1本のうどんをフーフーしながら食べますが熱くて中々食べられません
でも、父は早やく食べなさい
といい、食べる手助けは一切ありませんでした
食事に時間がかかっても、叱られる事はありませんでしたが、早くたべたら、次の人がお前が座ってる椅子に座った時にテーブルの上が汚かったら嫌な気持ちを与えるだろ?
それはダメな事だ
だからそんな時は必ず後を振り返り、掃除をし
今、自分が座っていたテーブルが綺麗に拭けてるか確認してから席を立つ様に
いいか?必ず後を振り返りなさい
人生もそうだ
必ず後を振り返り、嫌な気持ちになった時に何が嫌だったか考えろ
それから人を頼るな
親も頼るな
親はいつ死ぬか分からない
お父さんは、いつお前の前からいなくなるか分からない
その為にもお前は強くならないといけない
私は小さな時から、大好きなお父さんは急にいなくなるかも知れない恐怖や、何でも早くしなければダメなんだという事がいつも頭の中を離れず、毎日どうすれば物事をきちんと出来るか等を考えて過ごしていました
そうしているうちに、母親から受ける虐待が小さな事に思え、あまり気にしなくなりました
それから幼稚園や小学生になりました頃は、次に何をすればいいかを考えなさいという教育を父から受けました
時間は無駄に使うな、誰が見ているか分からないから、いつもきちんとした格好をしなさい
…
私は父に褒めて欲しくて、全て父のいう通りの行動をしていました
今思いますと、厳しい父親で良かったと思いますが、私は同級生とは少し考え方が違い、学生時代は苦労をしました事もありました
でも、やはり親は怖い存在だと子供が思える方が子育てはしやすいかも知れません
今では子供に気を使い、子供が欲しがる物を全て与える
いつの間にか子供は殿様バッタとなり、親を見下す様になる
私の考えは昭和時代の考え方ですが
やはり、親は怖い存在であると子供が思うご家庭は、それなりに子育ても上手くされている様に思います
(もちろん親子が友人の様に楽しく暮らされているご家庭もあります)
何でも早く出来る様に
早く出来たら父に褒めてもらえる様に
私は目標を持ち、一生懸命頑張りました
それが今、こうして一人で生きていく基本作りであった様な気が致します
幼少期から、親に甘える事無く
親はいついなくなるか分からない
という言葉に気を張りながら生きて来ました
親からの財産
形はありませんが、形に残る物より
ずっと重いものを頂いた気が致します