優しさが正しいとは言えない | kumikoのブログ

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吉田九美子(四柱推命鑑定士・医学気功師・除霊師九氣.遠隔治療技術士)は、人のお役に立つためのブログを書かせて頂いております。人生の歩みの方向性を見失われた方、霊に悩まされておられる方等、様々なお悩みを解決し、アドバイスもさせて頂いております。

たまに私は父や母の事をブログに書いています

それは、自分が成長していく上で、一番身近に居た存在だからです

私が幼少期の頃は、一人で自分が生きていけない為、母親の支配下に居ましたが、やがて幼稚園や小学校に通う頃には、自分の母親と友達の母親を比べる事が出来る様になり

本当の母親とは、我が子を分け隔てなく愛し、家族の食事を作り、自分を犠牲にしてでも子供を守る

という事が分かりました


私が九歳の時に、痩せ細る私を出張から帰って来ました父が見て驚き、何があったかと父が初めて喫茶店に私を連れて行って話を聞いてくれた事がありました

その時に私は胸に詰まっていました

母への疑問、不満、要求を一気に話しました

その時、父の年齢は38歳でした

でも、父は私に

我慢してくれ、お母さんが病気で寝込むよりましだろう?

そう言って、自分の妻の横柄ぶりを黙認してしまったのです

あの時に、父が私の心からの叫びを受け止め、私の母に母親としての教育を、殴ってでも行っていれば父の人生の最終章も違っていたと思います

お父さんはあたしの味方やからな!

これが母の私に対する口癖でした


この異様な敵対心も嫉妬心も

認知になった今でも母は私に向けます

父は母にずっと脅されていました


こんな汚い家に嫁に来てやった

私ならもっと金持ちの家に嫁げた

責任取ってや!


どうして父はこんな妻と別れなかったのか

どうして自分が植物状態になるまで

尽くしていかなければならなかったのか

父が倒れた当日も、骨折で入院しました母に顎で使われ

、それでも怒りの感情一つ出さず

母の看病に徹していました

父は心臓も腎機能も悪く、脳血管にも病歴がありました

父の方が安静にしなくてはいけなかったのに

どんなに体がしんどくても

母の、明日も朝一番に見舞いに来てや

夜は面会時間を過ぎても居てや

と、入院しても父を奴隷の様に従えていました


私がお父さんなら

あんな妻とは別れ、子供と楽しく暮らすわ

そんな言葉を父にぶつけました時に


結婚した以上、お母さんの面倒を見てやらんとな

一人にしたら可哀想だろ?って


私はそんな父を観て、悔しくて泣けて来ました


家計が全く出来ない母は、食費と自分のお小遣いの境目が分からず

ほぼ全額を衣類と貴金属に使い果たし、その度に父に叱られますと

逆ギレ


言いたい事を母に言えなかったのか

言わなかったのか

もうお墓の中に眠る父に聞く事は出来ませんが、父を観て育ちました私の体験は、私が成長していく過程や

そして今、人のご相談をお聞きさせて頂く立場としまして、身を持って

経験しました事を例に挙げてお話が出来ますので、今では良き体験として私の胸に収めています


でも父はどうだったのでしょうか?

子供には厳しく、そして賢く物知りだった父

私に接してくれている父の姿が本当の父です

でも、母と接する時の父は

自分の感情を全て押さえ、笑顔しか出さない

まるで蝋人形の様な印象でした

これは母への優しさなのか

母への諦めの気持ちの表れなのか


今の私の立場から、私の答えを父に出すとしましたら


あなたは間違っています

常に自分の欲求を他人に依存し、求めてばかりいる人間は、感謝の気持ちを持たず、不平不満ばかりを口にします

それを聞くのが辛いからと、妻に満足する物を与え、要求の感情を薄れさせていると次にはもっと大きな物を要求して来ます

それは妻とは言わないのです

ただの餓鬼です

勇気を出して、その妻とは別れ

あなたは父親として、我が子を誰にも気兼ねなく愛し、一緒に親子で成長をして行って下さい

勇気を持つ

それはあなたのお子様の為ですよ

まともな食事も子供に与えない母なんて、親とは言えません

あなたのお子様が可哀想です

父親として、目を覚まして下さい

父親としての幸せを堪能して下さい


このアドバイスを当時38才の父に伝える人が居ましたら、父は今でも元気で生きていてくれたかな…


なーんてふと思ってしまいました