私は昭和生まれですので、幼少期はご近所の子供達と毎日、日が暮れるまで外遊びをしていました
近所では、私が年上でしたので小さな子供達も集めて遊んでいました
小さな子供(七歳と九歳)を四人連れて嵐山から川沿いと山を越え、保津峡の駅まで危険な冒険もしました
保津川下りの舟にお客さんが、危ないから帰りなさいと緩い崖を登る私達の姿を観ては注意を受けたり、今思いますと当時の私は本当に怖さ知らずでした
その日はお昼一番に自宅を皆で出て
帰って来ましたのは夜7時を過ぎていましたが、ご近所のおばさん達も私達の姿を見て、お帰り~どこに行ってたの~?
と、のんきなお返事
小さな子供達も、川に行った
嵐山に行った、と一生懸命お母さんに話したりし、そう、良かったね~
と、我が子の姿がまる半日見えなくても、当時11歳の私を信頼して下さってたので、今思いますと本当に当時は平和な時代だったのですね
昔は年上の子が年下の子に遊びを教えていきます(今もでしたね)
昔の遊びは
関東ではケイドロ
愛知や東北ではドロケイ
でも、京都では助け捕まえという
犯人を捕まえる遊びであったり
とうりゃんせや下駄隠し
箪笥ながもちどの子が欲しい?
毬つき、ゴム跳び、泥団子作り
…
この様に、沢山の子供達といつも一緒にいて、遊びの中で上下関係を教え、良い事や悪い事そして道路に飛び出してはいけない事や野良犬と出会ったら目を合わせない事を教えていきました
町なかでの子育ては
近所の子供達が小さな子供の面倒を見て、お母さん達は家事と井戸端会議が日課でした
本当に、今では信じられないかも知れませんね(^-^)
私はそんな時代を懐かしく思います
昔の外遊びは、大きな声も出していましたし、毎日走り回ってもいました
道路には車もあまり走っていなくて
安心でした
私も、我が子はそんな環境で育てたかったですが、九回の引っ越しで私の夢は叶いませんでした
そして私の子供達には、幼馴染みがいません
引っ越しばかりの大人の事情で、我が子には本当に可哀想な事をしてしまいました…
毬つき遊びを孫に教えてあげたいな
ふと、今そんな事を思いました
(^-^)