先日、京都へ帰りました時
京都の三条寺町の飲食店で兄と二人でランチを致しました
こちらのお店は、いつも私達が京都で会う時に利用するお店ですが、普段は平日でも満席で当日の予約は取れないくらい繁盛しています
でも、この日は違いました
時間が早かった為だと思いますが
私達が一番客で他にお客様はおられませんでした(私が気付かなかっただけかも知れません)
いつも賑やかなこのお店が
あまりにも静かなのと、店員さんが少なくて、少し胸が痛くなりました
…
この時も、一日も早いコロナの収束を心から願いました
ランチの中のひと品
私の好きな茶碗蒸し
こちらは茶碗蒸しの上に絶妙な薄味のあんが乗り、大変美味です
二人でランチを頂きながら
色々話を致しました
私達は、やはりお互い心に深い傷を負い、苦労して育っていますので
自然にその根元である母親の話になりますが、今回は意外な事を兄の口から聞きました
九美子は小さな時、お母さんに可愛がってもらってたよ
九美子の服をお母さんはよく縫っていたし、九美子の髪の毛を毎日綺麗にとかしてリボンを付けていたよ
私は兄の作り話かな?と思いましたが、私の記憶に無いだけで事実の様でした
母親は、私を可愛がる時と苦しい虐待を気分次第で行っていた時がありました
このお話を聞き、私の記憶には苦しい虐待しか残ってなかったのかな…と思いました
私が我が子にしてあげていた事を
私も母親から少しではありますが、してもらっていたという事が分かり、苦しい思い出しかなかった私の幼少期の記憶が、少し解れた気が致しました
同じ兄妹なのに、差別を受けて育ちますと、やはり受けて育った者は
心も歪みますし人を信じません
兄は大切に母親に育てられたと思っていましたら、私の知らない所で
やはり兄も意味不明な虐めを母親から受けていたそうです
我が儘放題に育った私の母親は、子供を産んでも精神が我が儘な子供のままでした
ですので今思いますと、本当の人の愛や優しさを理解出来ないので、物質的には恵まれましたが、心は不幸な人だったのではないかと思う様になりました
私の母親は昨日で89歳となりました
それでも、私達兄妹は母を祝う事は出来ません
これからも祝いません
それはきっと、私がお誕生日というものを一度も祝ってもらえなかったからかな?
これも因果応報というものかも知れません
…
そんなお話をしたりしていましたが
丁度食事も終わりましたので
私達は寺町三条で分かれ、私は実家に、兄は自宅に帰りました
今はいつ何があるか分からない時期ですね
会えて話せた事が、本当に有りがたかったと思いました

