そんなもん損やろ そんな損な事、何で私がするんや…でした
幼少期から母親に聞かされてきた「損」
お陰様で、私は幼稚園に入る頃には、損が何かよく分かっていました
損する事が嫌な私の母親は、いつも得する事しか考えない人間でした
私は小さいながらに、何故この人は損に拘るのか不思議で仕方がありませんでした
ですから必然的に、いつも父は損だと思う事ばかり選ばされていました
父は何故、母親の言いなりだったのか…
言いなりだったのに、母親を庇い、悪口一つ口にしませんでした
今思いますと、その父の優しさが
あの我が儘を増幅させたのだと思います
損得をいつも心に思い、得ばかりを探していますと、その執着心が正波動を押し出し、損を手にしてしまうのです
母親は、また損した また損した
そればかり口にしていました
その八つ当たりの標的がいつも私
私を罵る事で、その沸き出るストレを発散させていました
損を取ると、こんな風になるんだ
私は歪んだ母親を見て、いつもそう思っていました
損って何だろう?
得って何だろう?
私や兄が受けとるお年玉やお祝いは全て
取り上げ、自分の化粧品や衣類を買い漁る
母親は、得した得したと騒いでいました
でも、欲を持つ母親は、それでもまだ足りず生活費も殆ど衣類に使い、まともな食事を作らない
いえ、作れない
神様は、なぜ私をこの母親から生まれさせたのか、幼少期の私は、本当に神様を恨みました
…
やがて私は大人になりますが、私は損得の線引きを抜く、選択はどちらでもよい人間となりました
それがいかに楽であるか、分からずに
認知症になった母親を見て、この人の生涯は、物欲に惑わされ終えるのだと感じました
私は損を知っています
だからといってその損をはね除けません
それは、損と得はいつもセットだからです 表裏一体なのです
つまり、得に終着しなくても、得を待っていなくても、損と得はやって来るのです
得を選ばなくても、得の方から来る場合もあるのです
という事は、損得の線引きを抜きますと
どんな事も一つの物事となりますね
それで良くないですか?
電車に乗り遅れても、お財布を落としても、それは一つの物事
損でも得でもありません
その方が、毎日楽に過ごせるのではないか…
本日は、ふとそんな事を思いました