私の兄も小学生になる時に、良い勉強机を買ってもらってました
私は当時三歳でしたので、記憶もしっかりあり、兄の机が自宅に来ました時は
何故か自分の事の様に嬉しかったです
兄がいない時にそっと勉強机の引き出しを開けますと、綺麗なクレヨンが並んでいました
早速兄の新しい音楽の教科書に、クレヨンでお絵描きをしました
全色を塗って満足していましたら
母親が兄と一緒に大丸百貨店から帰って来ました
痛んだクレヨンと、落書きだらけになりました兄の教科書を見た母親は、半狂乱になり
私の顔や首を思いっきり殴り、更に兄の教科書で何度も私の顔を平手打ちしました
私は三歳でしたが、やはり物の分別がつかない為、教科書への落書きが悪い事だとは理解出来ず、何故殴られるのか分かりません
目から火が出るくらい母親に顔を殴られましたが、殴られる理由が分からないので絶対私は泣きませんでした
それが余計に腹が立つのか、私が泣くまで母親の私への虐待は続きました
謝れ と何回も首を引っ張られましたが絶対涙も出しませんでした
よくもお兄ちゃんの本を汚したな
覚えときや‼
母親の罵声だけが耳にこびりつきました
それから三年後、私が小学校の入学前
父が、九美子の勉強机を買ってやらんとね
と母に言ったら、あんな子に何で机を買わなあかんのや?
どこかに汚い机があるやろ
私は欲しい化粧品があるんや‼
という両親の会話を聞いてしまいました
お友達の家に遊びに行きましたら、皆
本棚や蛍光灯付きの素敵な勉強机を買ってもらい、嬉しそうでした
さすがにその時だけは、私も綺麗な机が欲しくて悔しさに涙が溢れました
結局、私の勉強机は家具屋さんにあった古い事務机を譲ってもらった様で、私の部屋には勉強机ではなく事務机が来ました
それでも嬉しくて、私は一生懸命拭き
机さん、宜しくお願いしますと言ってました
母親は当時(50年前)フルセットで五万円の化粧品がどうしても欲しかったのです
当時の五万円は、父の月給を上回ります
フルセットの化粧品を手にした母親は
それはそれは機嫌が良く、その日だけ
父が居なくても私にも夕食を与えてくれました
私が母親になり、我が子が小学生に入学する時、長く使う勉強机だから、良いものを購入致しました
子供と一緒に家具屋さんへ見に行き
我が子がキラキラした目で机を選ぶのを見て、親として幸せを感じました
私の母親は、兄に対しては親でしたが
私に対しては敵でした
今の私が鋼(はがね)の様に強い精神を持っているのは
この母親という戸籍上の者と寝食を共にし、鍛えられたからです
私が乳児の頃から記憶を持っていたのも
自宅に居ても死から身を守る為、生き抜かなければいけなかったからです
私には、赤ちゃんの時から我が身を守ってくれる人はいません
父は出張ばかり、祖父母は他界
この環境を選び、生まれたのが私の意思だとしたら、私は冒険家だったかも知れない
世の中には、もっと苦しい思いをして育った人が大勢いますね
でもその苦しさや、かいた恥の経験は、自分の土台作りには本当に必要な物です
私は、母親には生んで頂いた恩は既に返しています
ですから母親には関しましては、感情は薄れてありません
とにかく現在は、不平不満、人の悪口、自分の自慢話しか話せなかった母親を気の毒にも思える様になりました
今は勉強机の思い出も薄れて来ています
過ぎ去る時は本当に有り難いですね
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