私の母親は好き嫌いを徹底する人物でした
好きな物は大切に
嫌いな物は即捨てる
特に私の印象に残っている映像は 私が幼稚園を卒園したその日
裏庭に 私の制服 幼稚園の鞄 お帳面がゴミと一緒に捨ててあった場面を見た事でした
その時は小さいながらに胸が痛くなりました
兄の物は大切に取ってあるのに、私の物は本当に何も無く 毎日氷の中で暮らしている様でした
私は我が子が出来て 幼稚園を卒園した後、制服や鞄を捨てようとしましたが 子供が毎日持っていた鞄や制服は愛おしく 絶対捨てれませんでした
母は私を愛おしく思う欠片も持ち合わせていなかったのです
成長過程で 私はこれでもかという差別を母親から受けながら育っています
食べ物 衣類 お小遣い 真冬なのに私だけ夏用の薄いお布団一枚
兄は毛布にアンカ(昔は鉄の入れ物の中に炭を入れて布団の中で暖を取っていました)
母親が寝てから 私はそっと冷え切った足を兄のアンカにくっつけた時の暖かさが忘れられません
母の差別はとにかく気持ちのいいくらい徹底し 朝は私が寝ている間に兄にはご飯を作り 与え 私が起きますと 母親も兄も居なく 私は夜まで放置でした 2~3歳の私は やはりお腹も空きますし お砂糖を食べたり お米を食べてお水を飲んだり 幼少期から ひとりで生きていく術を学びました
兄は座ってお口を開けていれば 母親がスプーンで食べ物を入れてもらえる
それをお腹を空かして見ている私の姿を見るのが母親は本当に楽しかった様です
幸い 父が出張でなく在宅中は母親からの衣食住の差別はありませんでした
…
あんなに大切にされていた兄
将来 兄に自分の面倒を見させる予定だった母親
ところが兄も母を嫌い 母親は兄が結婚したら同居を望んでいましたが こんな母親に僕のお嫁さんと同居はさせられないと いい 兄は京都ではなく遠く大阪に新居を構えました
母親は 我が老後の面倒を兄に見させる為 幼少期から手厚く可愛がり 中学生になった兄に靴下も履かせ 高価な衣類も与えていました
私は二子でしたので兄の古着を着ていました
さて 人に施すという心を持たなかった母親の最終章はどうでしょうか
皆様もご存じですね
人を助ける その徳はみな我に返り
自分さえ良ければいい考えの人は 老後どこからも何も巡り来ない
神様が与えられた母親の最終章は
病室に誰一人お見舞いにも来ない
「自業自得」でした