人は幼少期 自我が芽生え始めますと まだ頭を打ったり 恥をかいたりの経験が無い為 我を通し思い通りにならないと泣く 怒る 拗ねる等の感情を出します
親は 我が子がこの様な態度を出しますと 将来の為に 躾として 軽い体罰を与え叱ったり 悟らせたりし性格を修正し 我が子が将来社会に順応出来る様に育て上げます (全ての親御さんがそうだとは限りません
ところが ごくまれに 親には何の世話にもならず 自分一人で生きて来たといい 同じ苦労話を何度もする人がおられますね
これは 幼少期に大人に向けての性格の修正が未熟だった部分の現れ つまり性格の一部にわがままな部分がそまま残っている人に多い言動です
本当に親の世話にならず 乳児から自分一人で育つ事は まず不可能です
幼少期からの我が苦労話に酔う方は 自我が大変強く 自己中心的であり プライドが相当高い場合が多いですが 普段は面には出しません
でも一度スイッチが入りますと 容赦なく攻撃的な話を電話やメールやラインでし始め 自分の気が済むまで話し 相手の迷惑を考えません
これをずっとまともに聞いていますと 正常な考えの自分が壊れてしまうのですよ
いいですか
相手のストレス発散や暇つぶしに巻き込まれてはいけません
強い自分をしっかり持ち 苦手な相手から電話がかかってきましたら 負のお話なら 聞き入れず お話は切り上げて下さい
同調して相手の重いお話を聞き入れていますと 相手の低級な邪気も受けてしまう事になるのですよ
また 自分にも少しでもそんな要素をお持ちだと気付かれるなら それを修正すればいいですね
相手とは相対
私もその様な要素を持っていましたから 優しく穏やかなお友達の中に やはりこの攻撃的な人物がおられました
どれだけ人を傷つけているか全く気づかず 自分が 自分がと負を吐き止まりません
この方は もっと人の為に動く事をしないと 何も自分には返って来ないと私は感じます
その徳は皆我に返り
この言葉には深い意味がありますが 一つには人の為に動く行動は やがては形を変えて 自分に正の流れとなって返って来ます
でも いつも自分の事を優先し 愚痴を他人に聞かせ 人をこき使う人物には正の流れは決して来ません
これに気づけない限り 生涯同じ位置に踏みとどまるのです
自分の背中が痒いからと横柄な態度を取り、人を責めてはいけません
痒ければ 自分で掻けばいいのです