辛かった母の日 | kumikoのブログ

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吉田九美子(四柱推命鑑定士・医学気功師・除霊師九氣.遠隔治療技術士)は、人のお役に立つためのブログを書かせて頂いております。人生の歩みの方向性を見失われた方、霊に悩まされておられる方等、様々なお悩みを解決し、アドバイスもさせて頂いております。

もうすぐ母の日ですね
私は 幼少期から この母の日が来る度に苦痛を感じていました

小学校低学年時、母の日前には 必ず図工の時間に お母さんの似顔絵を書きました
友達はみんな笑顔のお母さんの顔 ありがとうの言葉を画用紙に書いています

私は…私は母親にありがとうなんて嘘の言葉を書けず また母親の笑顔も知りませんから書けませんでした

お誕生日 クリスマス お正月… 母親から一切何も貰えなかったので 母の日にお花を送る事も出来ませんでした

母の日が来る度に
母親に 今日は母の日や あんたは何にも無いんか!と言われてましたが 心を込めたプレゼントを送る事は出来ませんでした
(義理で送った事は何度かあります)
でも そんな私ですが お母さんと呼べる方が 京都や神戸 そして名古屋にもいて下さります
私には、血こそ繋がってはいませんが 本当に私の事を想い 大切にして下さるお母さんがいます
私はその方達から 母親の愛というものを教えて頂きました

お母さんというのは
いつも我が子を想い 心配してくれる
子供が躓きそうになれば 手を貸してくれる 子供が震えていたら 温めてくれるのですね

私は真冬でも 夏用の薄いお布団に寝かされていて 氷の様に冷たい足は朝まで冷たかったです
自分や兄は暖かな毛布で寝ていて どうして私だけ 優しくしてもらえないのか 不思議でした

あんたは捨て子や
と私の顔を見ると憎しみの目で睨みつけていました
父が出張の時は とにかく 私に食べ物を与えない お風呂に入れない
母が私に対した育児放棄は 父に私の顔がが似ていた為のヤキモチだったらしいですが でもそれは私の責任ではありません

お父さんは九美子ばかり大事にする! そう言ってとにかく良く母に叩かれていました

本当に死んでしまいたかったです 当時四歳でしたが とにかく早く死んで 次に本当の優しいお母さんの元に生まれたかったですね

でも 出張から帰ってきた父は いつも一番に兄より私を抱き上げ 九美子 風呂に行こうか そう言ってお風呂やさんへ連れて行ってくれました

私の性格が歪まなかったのは 父の深い愛のお陰です

もうすぐ父の日

素敵なパジャマを送ろうと思います

私には 小さい時から父の日しかありません