母は34才で大手生命保険会社に就職しました
当時私は四才でした
母の上司は七才お若い男性の所長様でした
その所長様は 部下を本当に大切にされ また 母や母の同僚の同行もよくされておられました
当時 小さな私には「九美子ちゃん」と呼んで下さり 母には一度も買ってもらった事もないお菓子を買いに連れて行ったりして下さりました
所長様は自分の部下の子供の私に対しても 一人の人間として 丁寧に接して下さりました
やがて3年の月日が流れ 母は毎日生き生きと仕事に出掛けました
そんなある日 母が 所長さんね転勤するの もう二度と会えへん
そう言ってお台所で 泣いていました
七才になった私も淋しくて泣きました
…
やがてその方は支社長になられ 素晴らしい功績を残され
皇居近くのの高層ビルの来賓室にまで呼ばれる部下思いの偉い方になられました
所長さんね退職され、神戸に帰って来られてるの 母が数年前に私にそう伝えました
お会いしたいけど 太ったから会えない
じゃあ私が会ってくる
当時神戸在住の私はその方に連絡をし40年ぶりにお会い致しました
九美子ちゃん?
はい ご無沙汰をしております
あんなに小さかったのに こんなに大人になって
お父さんやお母さんはお元気ですか?
この方は 私の両親の事も私の事も 覚えていて下さりました
懐かしいお話をした後 お別れをしましたが いつか母に会わせてあげたいと強く思うようになりました
それから六年が経ち このままではもう二度と母はこの上司の方に会えないと思いました
実家に届く年賀状
調べましたらご住所は神戸のまま
私の携帯に残っているこの方の番号にお電話をしました
僕 お見舞いに行くよ
いつがいい?
そう行って下さり 昨日京都までわざわざお越し下さりました
感謝の気持ちを伝え 母の病室へ
生きる気力を無くした母は空虚を見つめていました
お母さん そう呼びますと 母は振り向き そして 私の横におられる 母がずっとずっと何十年も会いたかった方のお顔も見ました
どちら様? 母はそう言いながら みるみる喜びの感情を出してくれました
耳の遠い母に そっと近づき

吉田さん 僕だよ
お久しぶりです
…
続きは明日書きますね