レイテ島 | kumikoのブログ

kumikoのブログ

吉田九美子(四柱推命鑑定士・医学気功師・除霊師九氣.遠隔治療技術士)は、人のお役に立つためのブログを書かせて頂いております。人生の歩みの方向性を見失われた方、霊に悩まされておられる方等、様々なお悩みを解決し、アドバイスもさせて頂いております。

今回 台風30号の直撃を受けた島の中に フィリピンのレイテ島がありましたね
皆様には聞き慣れないこの島の名前ですが 私は母方の祖母からよく聞かされた名前でした
私には 母方に七人の叔父がいました
そのうち 五人は フィリピンのレイテ島で戦死しています
母の実家へ行きますと 立派な軍服を着た 若く凛々しい五人の叔父のお写真が額に入り お仏壇の上に飾ってありました
後二人の叔父のうち 一人は五歳で病死

最後の一人の叔父も数年前に他界しました
私の母は九人兄妹でした
九人のうち 祖母は六人も我が子を生前に亡くしています

幼少の母を溺愛したのは当然かも知れません

私の母は嫁ぐその日まで 祖母に溺愛されてましたから家事を一切した事がありませんでした

母が家事をしたら 母の手が荒れるからだったそうです

今思えば 大切に育ててきた我が子を五人も戦争に取られてしまい 一人は病気で亡くなり 祖母の苦悩は計り知れなかったと思います

その為 真綿の様に大切に育てられた母は 自由でわがままな方向に育ったのですね
母より18才年上の叔母は今年他界しております


今は 1~2人の我が子を産み ほぼ100%の確率で成人させる事が出来る日本

半世紀前と少しは それは不可能でした

成人まで育てた大切な息子を お国のために命を落とす事が分かっていて 差し出さなければいけなかったのです

もし 今 私の息子に召集令状(強制戦争参加証)という赤い紙が届きましたら
私はその紙は息子には渡せない



祖母の気持ちを想うと可哀想で胸が張り裂けそうになります

祖母は優しかったです
母が子育ても出来ない事が分かっていましたから 大阪からよく京都へ私と兄のお世話をしに来て下さってました



レイテ島は戦争の激戦地でした
島は焼け野原だったと聞きました
五人の叔父の遺骨も祖母は手にする事は出来ませんでした



今回の台風でレイテ島は大変な被害を受けました

でも 戦争の激戦地だった町を賑やかな平和な町に戻す事が出来たのですから 復興には時間がかかるとは思いますが 必ず活気のある町に戻ります
一日も早い復興と島民の皆様全員のお姿が確認出来る事を願います