施し(ほどこし) | kumikoのブログ

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吉田九美子(四柱推命鑑定士・医学気功師・除霊師九氣.遠隔治療技術士)は、人のお役に立つためのブログを書かせて頂いております。人生の歩みの方向性を見失われた方、霊に悩まされておられる方等、様々なお悩みを解決し、アドバイスもさせて頂いております。

本日は 一度ブログに書いてみたかった
「施し」
を書きますね

施しとは布施とも云います

布施はお布施といい 、今はお坊様に金封に入れてお渡しするお金として 印象のある言葉ですね

このお布施は 実はお金だけではなく 相手に安らぎを与えたりする言葉も含みます
布施は功徳ですから 、渡す側も受け取る側も双方等位でなければなりません

この布施を受け取る側が優位 つまり偉いわけではありません
ここを勘違いしていますと 人に何かをしてあげた時に 自分を優位に置き 「何かをしてやった」になるのです
これを等位で見ると綺麗な言い方にしますと させて頂いた して頂いたとなります

よく お話の中で あれこれしてあげたのに 何 あの態度
とおっしゃる言葉を耳にしますが これは自分を優位な位置に置いているからこそ 出てくる言葉ですね

人に何かをしてあげる時 優位か等位か
今いる自分の位置を観るのも ある意味自己を知るのに 役に立つかも知れません

私は等位です
等位ですから させて頂ける事に感謝の気持ちを持ちます



前夫と離婚しました後 生活は大変苦しく 辛い時期がありました 小中高の子供を抱え 不安な毎日でした
実家に少しだけ援助をお願いしましたが
母は一円のお金も 優しさの言葉も一食の食事も私達親子に は与えてくれませんでした (結果は分かっていましたが…)
途方に暮れて 実家から神戸に帰って来た時期に 無償でお肉やお野菜を下さった方がおられましたが
その方が私に、人に施しをしてあげれない人は人から施しを受けられない と言って慰めて下さり
そうおっしゃった当時の事葉が今でも私の胸に刻まれています



今 母親からよく電話がかかって来ます

施しの要求の電話です

私の母は人から施しを受けるのが当然で 自分は一切出来ない人なのです
私は施しが出来ない人に 施しを要求するのは可哀想で無理な事だと気づきました
私は今 素晴らしい友人に囲まれ 幸せに日々を送っていますが 私の母は 要求する人生を歩んで来た為
誰一人友人はいなく
親戚に電話はしても かかってくる事はありません

いつも 死にたい を口に出す母

来世は 私がこの母の母親となり 愛とは何か 施しとは何か
心から慈しみ 愛を持って育て上げたいです
そうでないと 私は我が母が可哀想で仕方がないのです