私には 昭和62年生まれの長女
平成元年生まれの長男
平成9年生まれの次女
三人の子供がいます
上の子二人は私の手を放れ 独立致しました
今年の一月に息子が私の元を離れ ふと二人の子育てを振り返りますと…
長女は現在 看護師をしております
オペ看という手術専門看護師です
小さな時から あなたは看護婦さんになるのよ
そう言い聞かせて育てました
いつの頃から看護婦さんを目指し 看護専門学校に合格し 勉強を頑張っていました
その頃 私は医療ミスで再起不能に近い体でしたから 長女は余計に お母さんのためにも看護師になる
そう言って勉強を毎晩夜中の3時位まで頑張っていました
レポートレポートの毎日 極度の睡眠不足 限界を超えた勉強の量に長女は鬱状態になりました
よく泣き出し わがままを言いました
お母さんを看る為に!
長女の目標が体の弱かった私を看護するために どんな事があっても 看護師にならないといけない
このプレッシャーが 長女をノイローゼの渦へ落として行きます
毎日 泣きながら 苦しむ長女を見て
看護師にならなくていいよ 看護学校を辞めて あなたの好きな仕事を探しなさい
学校は辞めなさい
そう切り出しました
長女は 私が看護師になるのがお母さんの夢だったのでしょう 高い学費も払ってもらってる 辞められない
もう十分頑張ってくれたからもう いいよ 唯
…その時の私は確かに 母子家庭で生活は苦しく 唯に全てを掛けてましたが 違う道もある
あの子を失うより
あの子の笑顔を見ていたい…
このお話は以前にもブログに書いていますが 私は頑張りなさいとは言えませんでした
相手が極限状態にある時には 励ましや応援は 更に極へ引き落としてしまうかも知れないと思ったからです
唯は 私の辞めてもいいよ
そのひと事で マイナス極からプラス極へ自分を移動させ 自分できちんとプレッシャーを吹っ切り 次の日から目をこすりながら 夜中の勉強を頑張り切り 無事看護学校を卒業しました
息子は 私が敷いた人生のレールを少しだけ歩みましたが そこから飛び降り
自分で苦労をして切り開き歩む道を選びました
私は今この立派に成長した子供達の姿を実父に見せたいです
人生の誘惑に負けてしまい 大切な家族を失った父親
一言でいいです
よく頑張った
そう言って欲しいですね