私の命をつないだもの2 | kumikoのブログ

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吉田九美子(四柱推命鑑定士・医学気功師・除霊師九氣.遠隔治療技術士)は、人のお役に立つためのブログを書かせて頂いております。人生の歩みの方向性を見失われた方、霊に悩まされておられる方等、様々なお悩みを解決し、アドバイスもさせて頂いております。

奈々を帝王切開で生んだ当日の夕食は 鯛の尾頭付きの豪華な夕食でした
でも 何故か食べられませんでした

次の日の朝は めまいがひどく車椅子で新生児室へ
奈々ちゃんは37週で生まれたから 保育器の中でしたがスヤスヤ寝ていました
朝の診察をしてもらった時 出産後の出血が全くない。何日たっても出血がなく そのかわりお腹の激痛が続き 食べ物も全く消化せず 高熱が出だしさすがに先生が、すまんすまん 手術中間違えて子宮口も縫ってしまい 下から出るはずの出血が子宮の縫い目から 全部腹膜へ流れ出てるわ どうする?ってまるで人事のように軽く聞いて来られ
手術からすでに五日目。お腹は腫れ上がり痛み止めはモルヒネしか利かない状態になってました モルヒネを投与されると 幻覚ばかり見えて…その時 先生が 明日子宮取ろか 痛いの我慢出来ないやろ?って 本当に謝罪もなく 手術ミスで一週間放置。やっとお腹を開けた時はすでに手遅れに近い状態でした。手術が終わり
子宮はなくなり 内臓もかなりダメージを受け 機能しない状態でした 大量の抗生物質投与で私の体は 全身真っ白になり 食べ物も受け付けず 奈々ちゃんを抱く事も出来ず 激痛とモルヒネ。 婦長さんが見かねてベビーフードを口へ運んで下さったけど もう食べ物は一切受け付けず、死ぬってこういう事なんだ と実感しました
丁度病院では見習い看護婦さんの実習の時期
一人の見習いの看護婦さんが 意識も、もうろうとしている 私の体を拭きながら
生きて下さいね
赤ちゃん 抱っこしてあげて下さいね と 声をかけて下さってました
私に出来ること?
子供達に 手紙を書こう…
必死で書いた文章は …お母さんが死んでしまってごめんなさい
もっとあなた達と一緒に過ごしたかった 。あなた達の結婚式 が 見たかった。
これだけ書いた後
絶対死にたくない! どうして赤ちゃんを生むためにこの病院に来たのに 私はこのまま死なないといけないの?
痛みと苦しみと空腹で これが地獄ね… 何度も思いました

次の朝 絶食のまま もう針がささる血管もなくなり 点滴も受け付けなくなってました
その時 あの見習いの看護婦さんが部屋に来て 私の口に 少しだけ 温かいおうどんを入れてくれました
(◎o◎) おいしい! 私はパチっと目を開けました
看護婦さんがにっこり笑っておられました
私は一本のおうどんのお陰で無事に生き返る事が出来たのです