hinatamaのぐうたら日記

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普段はぐうたらだけど・・・
かわいい息子のためには、ぐうたらしてられないs(・`ヘ´・;)ゞ
ノイローゼにならない程度に頑張ります!

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「ここでは、これ以上何もしてあげらせません」



1/6の夕方、個室に呼ばれて

担当医からそう告げられました。

そして高次病院への転院を勧められました。


まだ、妊娠を継続できる余地はある。

どん底の中から、希望の光を見出しました。

最初の妊娠流産から5年、

前よりは助けられる可能性は高くなっているのだろうか?



「名古屋にある大学病院と岐阜にあるN医療センター、

この2つの病院への紹介が可能です。

どちらにしますか?

・・・hinatamaさん、以前大学病院にかかられているので

そちらにしますか?」



そう、

名古屋の大学病院には不育症検査でお世話になりました。


この市民病院で不育症の検査を受けましたが

特に問題はなく、より詳細な検査を受けるために

大学病院への紹介状をかいてもらいました。

その時の担当医もこの先生でした。


大学病院・・・規模も大きくて

最後の砦的な病院のイメージ(私の中では。。)


でも、この大学病院へ転院する気にはなれませんでした。


なぜなら、不育症の原因を突き止めてくれなかったから。

検査結果に明らかに異常な数値があったのにスルーされたから。


以上の理由とともに

「大学病院へ転院する気にはなれません」

そう伝えました。


「そういう思いがあるのであれば

大学病院はやめたほうがいいですね。

ではN医療センターにしますか?」

と先生。


2つしか選択肢がないので、

必然的にもう片方の病院になる。


岐阜の病院かぁ~・・・岐阜みたいな田舎に

高度医療が受けられる病院なんてあるのか?
(岐阜の方スミマセン。。私も岐阜県出身なので自虐的に書いてます)


不安を抱えたまま転院するのも嫌なので

N医療センターについて聞いてみました。


先生の返答
「N医療センターで手の施しようがない状況なら
ほかの病院へ行っても、もう何もできないです」


その言葉を聞いて、N医療センターへの転院を決めました。



その日の夜、

夕飯を食べながらTVを見ていたら

「最近の病院食は美味しい!」

といった内容の特集がやっていて、

そこで取り上げられていたのがN医療センターでした。


さっきまで知らなかった病院。

転院の話がなければ知らなかった病院。



たまたま見たチャンネルの特集で

これからお世話になる病院が取り上げられてるなんて


・・・縁があるのかしら?

と思ったのをよく覚えてます。


リョウの出産記録ではありません。

1回目の妊娠(流産の記録)について簡単に書こうと思います。




私が初めて妊娠したのは2010年の9月。

出産予定日は2011年5月でした。


妊娠5wで出血。

しばらく出血が続いたものの、2週間ほどで落ち着きました。


9wの頃、今度は大出血・・・

ナプキンが鮮血で真っ赤になりました。


病院で見てもらったところ、赤ちゃんは元気だけど

絨毛膜下血腫ができているからしばらく安静が必要ということで

結局会社を1ヵ月ほど休むことに。


14wにはひどかった悪阻も落ち着き、出血もおさまっていました。


無事仕事にも復帰.

しかし、運悪く風邪をひろってしまいました。


悪阻であまり食べれていなかったこともあって

抵抗力も落ちていたのか・・・

風邪が悪化してしまい、仕事を休んだ日のこと。


仕事に行く旦那を見送って、寝る前にトイレへいって

便座に座ったところ・・・

何かがジャーという感じででてきました。

あれ?まだ、用は足してないけど・・・なにが出てる?

その瞬間は何が起きているかまったくわかりませんでした。


便器に溜まる茶色ぽいもの。

もしかして破水したのか?


そう思った瞬間、急いで部屋に戻り

ついさっき家を出た旦那に電話をかけ呼び戻すと

急いで病院へ行きました。


診察の結果、赤ちゃんは元気でした。

でも、思ったとおり破水していました。




その時受診していた病院はマタニティークリニック。
(以下、Sクリニック)

ハイリスクな妊婦を扱うような病院ではないため

破水してる状況をどうこうすることもできず。



名古屋のとある総合病院にいる

ハイリスク出産に関して権威ある先生を紹介するから

診てもらってきてください。

ということで、予約をとってもらい受診することに。


その先生に診ていただいたときには

少し羊水が溜まっていて

「この状態を保てれば、なんとかいけるかも。

21週を目標に頑張りましょう!」

と言ってもらえたときには、まだ望みはあるんだ!!

とすごく嬉しかった。



ただ、NICUのある病院への転院が必要だと言われたけど

そこの総合病院は、予定日が5月だと分娩予約がいっぱいで

受け入れできないとのこと。


とりあえず、Sクリニックの先生宛に診断書を書いてもらい

権威ある先生とやらの診察は終わりました。


しかし、その数日後、

まだ風邪が治らず家で寝込んでたとき

咳き込んだ瞬間、水っぽいものが出る感覚があり

せっかく溜まりかけた羊水が出てきてしまいました。


その後、Sクリニックにて

妊娠の継続は難しいとの診断をうけました。


でも赤ちゃんは生きている。

もしかしたら、このまま21週まで継続できるかもしれない。

でも、この状態で赤ちゃんが21週までもったとしても

自力で呼吸もできない、目も見えない

管に繋がれた状態でしか生きられない状態で生まれて

幸せなのか?

産んであげたいという親のエゴではないのか?

でも、もしかしたら赤ちゃんは生きたいと思っているかもしれない。

それなら、管で繋がれて生きるのはかわいそうだからと

諦めるのも親のエゴではないのか?


どれだけ考えても正解がわからない。



諦められない気持ちもありましたが

Sクリニックでは妊娠継続の選択肢はなく

人工中絶の手術を受けることとなりました。



胎盤検査など流産の原因をつきとめるような検査を

何もしなかったため(希望すればできたのかな・・・?)

はっきりした原因は分からずじまいでしたが

絨毛膜下血腫の部分から感染し破水したのでは・・・

とのことでした。


もう5年も前のことですが

妊娠継続ができないとわかった時のことを思い出すと

今でも胸が苦しくなります。



あの時の判断は間違ってなかったのか?

それはリョウの妊娠出産を経験したことで

余計にそう思います。


でも、最初の妊娠・流産から学んだことはたくさんあった。

きっと、伝えたいことがあって

たった18wだけだったけど、

私のお腹に宿ってくれたんだと思っています。


私のかわいい娘。

ありがとう。






血腫なら出血するはずなのに

出てきたのは茶色い水っぽいもの。


先生にも「これは血腫ではないのでは?」

という疑問がでてきたようで

何度も内診したり、数人の先生が同席して

腹部エコーをして、あーでもないこーでもない・・・

こんなことが続きました。


ここらあたりの数日間は、いつ、どんなふうに事態が

変わっていったか覚えてないのですが


ある日の夜、

茶色の水っぽいものが今までにないくらいたくさん出て

その時にした検査で羊水反応がでました。

それによって破水確定。


破水しているということで、安静度が上がり

シャワー禁止、トイレ以外歩行禁止に。



16週での破水。
(実際破水したのはもうちょっと前だと思いますが・・・)



1回目の妊娠とまったく同じ。

なんでまた。

また、あんな辛い思いをしなくてはいけないのか。



もう、絶望しかありませんでした。