さて、ワルシャワへ戻って早ひと月が過ぎようとしておりますが‥‥って、早すぎません!?
最近の事について書きたい事も溜まっておりますがまずは怠けちゃってた夏の様子について、少しずつ書き足していこうと思います。
2017年7月末〜8月中旬頃
ちょうど、南イタリアでのコンクール&グディニァでの講習会を終えて(→詳しくは過去ブログを参照なり)、ワルシャワでノンビリ過ごしていた頃のこと。
旅の疲れがドッと押し寄せていたこともあって、自炊する気力もない、けれどお腹は無限大に空いてくるというジレンマとの闘い(苦笑)。
けれど、ある日ふと気がつきました。
いや、待てよ‥‥
すぐ近くにあるじゃないか、安くて美味しいご飯にありつけるところが!
我が家のご近所にある、大人気ミルクバー・Bar pod Barbakanem。
(※ミルクバーというのは、ポーランドの大衆食堂のような存在。牛乳とか乳製品専門店ではない)
実は、私がこちらに引っ越して来たばかりの頃に、一度だけお店の中を覗いたことがあったのですが、地元民たちでごった返す独特のアウェイな雰囲気にのまれて、早々に逃げ出してしまったのです。
しかし!!
2年経った今なら、問題なくポーランド語のメニューも読める、注文も可能。
そして今の私には、そんじょそこらのトラブルには動じない態度のデカさと図々しさがある。←
△でも大丈夫。最近は頼めば英語のメニューも出してくれるようになったみたい。
意を決して(?)、頭上に貼られたメニューを吟味し、番台のおばちゃん相手に注文スタート。いざ。
♪♪♪
ヒ: 冷製スープに、ポークカツレツ、付け合わせに蕎麦の実をつけてください。
「‥‥To wszystko?? (それで全部?)」
ヒ: Nie, あとガス無しのお水もお願いします。
「‥‥Nie ma. (ないよ。)」
‥‥え、水ないの??
じゃあ、ガス入りの水かオレンジジュースで。
‥‥‥Nie ma Nie ma! Nic nie ma.
(無いよ無いよ!!何にも無いよ。)
17zl..(17ズロチね。)
‥
‥‥
ちょっとまて。どーゆーこっちゃ。
△注文したメニュー。予想以上に破壊力抜群のボリューム。でもこれで17ズロチ(約500円)はある意味すごい。
じゃあ、飲み物なんでもいいからちょーだい!とお願いしてみたら、コーラを一本、ヒョイと手渡されました。
ポーカーフェイスのオバちゃんの背後に目を向けると、冷蔵庫の中にはコーラがギッシリ。(というかコーラしかない!!)
案の定、私の次に注文していた外国人ツーリストのカップルが、かなり混乱していたので(メニューは英語ありでも、オバちゃんへの注文はポーランド語オンリー。)
「今日はコーラしかないみたいだよ」と教えてあげると、まるでこの世の終わりの様に絶望していました。‥‥ホントそれだよね‥‥ゥンゥン
よくよく見ると、写真に写ってるポ人のお客さんたち、全員コーラ飲んでるし‥‥(笑)
味もお値段も美味しいけれど、次回からお水は必ず持参ですな。
♪♪♪
ところで、ワルシャワでChopin i Jego Europeの音楽祭が行われていた8月中頃、音楽祭を目当てにいらしていた日本人の方々とご一緒させていただく機会が多かったのですが
そんな中、6月のイタリアで知り合ったベルリン在住のまりあちゃん(*詳しくはこちら→「充電ウィーク。」)が、我が家に遊びにきてくれました。
せっかくの機会なので、「ショパンの生家へ行ってみよう!!」という話になり、ミニバスに乗り込んで、郊外のジェラゾヴァ・ボラへ。
乗合バス車中。
外の風景がどんどん長閑になってゆく‥♪♪
ショパンの生家、到着〜
私たちが到着した時間は、ちょうどお昼のコンサートが始まる1時間前ということもあって、それなりの混雑率でした。
この日の演奏者はPhilippe Giusianoさんだったのですが、実はこのショパンの生家も含めて、ワルシャワショパン協会が管理する楽器は、過去に本家のショパンコンクール(本選以上)に出場経験のあるピアニストでなければ、一切触れないというルールがあるそうです。
ここで弾けるピアニストさんは、幸せだろうな〜
ちなみに、この生家とお庭の現在の姿は、第二次大戦後に博物館として整備されてから後のもの。つまり、ショパンが実際にここで暮らしていた頃の風景とは全く違います。
実際に当時のまま残っている部分って、生家の通路の一部分くらいだそうです。
△1810年当時のジェラゾヴァ・ボラの風景画。
この日、同じ時間帯に日本からご旅行されていたご婦人方が、大喜びでこんな会話を繰り広げておられました。
「ショパンはこんな素敵な風景を見て育ったから、あんなロマンチックな曲がかけたのねー❤︎」
‥‥‥‥横にガイドさんいたみたいだけど、ちゃんと説明したのかな?
遠耳に会話を聞きながらムズムズ。
△結婚式を終えたばかりのカップルにも遭遇。
ショパン研究家として有名なG.サムスンという方が、このジェラゾヴァ・ボラについて「ショパン信仰者たちの聖地」と皮肉交じりに表現していたのを思い出して、ふと考えさせられました。
確かに、ショパンが生まれたのは事実この場所だったとしても、その後に生まれた彼の数々の名作とは、直接的な繋がりはないし、作曲家の人生のバックグラウンドに心酔しすぎて、よりドラマチックな想像を掻き立てられてしまうと、実際の「音」に対して盲目になりやすい。これって、音楽に携わる上では、けっこう危険な事でもあるんですよね。
より多くの人の記憶に留める為にも、あるいはポーランドの観光活性化の為にも(←苦笑)、ショパンに関する場所や品々を大切にする試みは欠かせないと思う一方で、ちょっぴり疑問も。
ぅーん‥‥必要以上にシンボル化し過ぎてない?
確かに素敵な博物館だし、音楽愛好家なら必ず一度は訪れたいと思う「聖地」なのだろうと思うのですが
訪れる側も「受け止め方にはちょっぴり御用心」、かもしれませんね。
△お庭には、世界各地から贈られた植物が。春には日本の桜が綺麗な花を咲かせるそうですよ♪
まりあちゃんとゆっくりお散歩&コンサートを楽しんだ後は、再びバスでワルシャワへ帰還。
△この日の夜は、たまたまビドゴシュチから遊びに来ていたミヤコちゃん、ポーランド人のお友達も合流してピエロギ会。
△ワジェンキ公園のショパンさまにもしっかりご挨拶。
ポーランドは初めてだったというマリアちゃん、ばっちりワルシャワを楽しんでくれたようで良かったです。マタキテネー