こんにちは
今日も娘は元気に登園。
お迎えに行くと、毎日「明日のお給食は〜なんだって!」と教えてくれるんですが…
え??お給食を食べに幼稚園へ行ってるの?
まあ良いか楽しいなら、理由はなんだって良いね。
娘が幼稚園に行っている間、我が家には常時息子用のおもちゃが散らばっています
これも今だけの景色だろうから…まあ良いか
最近は「まあ良いか」が上達した私。
でも、ややミニマリストになる3年ほど前は「こんなんじゃ恥ずかしい!」と、常に自分を追い込んでは苦しんでいました。
今の自分から当時の自分に聞きたい。
「恥ずかしいって…誰に対して??」って
そもそも、自分が思っている正解って世界共通ではないと思う。
それに、人はそんなに自分のことは見てない。
確かにたまに「可哀想に!」って急に声をかけてくる、妖怪可哀想おばさんは居る。
でも…一部分を切り取ってその子が可哀想かなんて、絶対に分からない
(この時、赤ちゃん寒そう!可哀想よ!と声をかけられました…。お年寄りが多い地域だから?)
ママになって急に「はい、あなたの子です。」と小さくて弱々しい赤ちゃんを渡されて。
なんだか、少しでも目を離したら消えてしまいそうな命。
夜中に息をしてるのか何度も確認しちゃったり。
大切で、愛おしいけど…とてつもなく重い責任感で押しつぶされそうに…いや、押しつぶされながらの育児。
当たり前に大変。
確かに、ふにゃーっとした笑顔を見られて幸せ。
今日は初めてずり這いした!1歩歩いた!なんて喜べるのも幸せ
でも、何をやっても泣き止まない夜もあって。
お熱を出そうもんなら、心配で夜も眠れなくて。
3年前、1歳前の娘を寝かしつけようと薄暗くした部屋でのこと。
私を見つめる娘の目が真っ黒に見えて。心の底からぞっとした。
今思えば、固まる私を見て不安になったんだろうけど…娘がその後にわーっと泣き出して。
「あ。この子って…私を苦しめるために生まれてきたの?」と思った自分に気づいて、そんな自分にまたぞっとした。
シンプルに限界だったんだと思う。
心も体も。
だから、誰だか分からない他人の目を気にして「ちゃんとしないと」を止めた。
みんなが持ってるし…と増やした沢山の物も捨てた。リセットの意味で
「我が子をいつか傷つけるくらいなら、笑われてもいいや。物が少なすぎて笑われてもいいやー」って。
「このままだと、いつか我が子を傷つけるかも…」って思ったら、結構何でも出来たんです
今改めて見ても、物が溢れてました。
あれから3年。
やっと最近「そういう感じる人もいるよねー」と、妖怪可哀想おばさんをあしらうことも出来るように
そんな今の私から、当時の私に声を掛けられるなら…
「頑張ってるね。辛いよね。他人に笑われてもさ、親子で笑っていられたらそれが正解じゃない?それに…案外他人は自分の事でいっぱいいっぱいで、あなたの出来ていないと思っている部分は見てなかったよ」
かな
あんなに誰かから批判されるのを恐れながら、頑張ることを止めたのに…意外と批判なんてされなくて。
拍子抜け
自分の人生は自分が決める。
自分の子育ては、目の前の我が子を一生懸命見つめながら、一緒に答えを見つけていく。
ありがたいことに、このブログの読者さんはママ仲間が多くて
みんなは「人には言えないなー」って思いながらも、サボってることってありますか?
私は…自分の体調が良くないときに「娘がちょっと顔色が悪くて…」と、幼稚園に電話して送迎をサボることがあります!
あ、ちゃんと午後には「なんだか眠かっただけみたいです…」と電話してますよ
…今日は、謎の暴露で終わりです