ポーランドのヤスナ・グラ修道院にある
「チェンストホヴァの聖母」
教会はマリアから「生々しい生命力」を奪い、無機質な処女という枠に閉じ込めました。しかし、人間の魂が求める本能的な生命への渇望は、教会の掲げるマリア像の白い肌のように均一に白く塗りつぶすことはできませんでした。その抗いの表れとしてもっとも象徴的な姿が、世界各地に点在する「ブラックマリア(黒い聖母)」です。
ブラックマリアは、ヨーロッパを中心に世界中で数百体も確認されています。なぜ、白人中心の社会であるヨーロッパで、あえて「黒い」マリアが作られ、熱狂的に崇拝されてきたのでしょうか。
代表的なのは、ポーランドのヤスナ・グラ修道院にある「チェンストホヴァの聖母」、南フランスのシャルトル大聖堂やロカマドゥール、スペイン・バルセロナ近郊のモンセラート修道院にある像などです。これらは煤で汚れて黒くなったのではありません。意図的に、黒檀や黒い石を用いて、漆黒の姿として刻まれているのです。
南フランスのシャルトル大聖堂のブラックマリア
ロカマドゥール(フランス)のブラックマリア
モンセラート修道院(スペイン)の黒い聖母子像
また、南米やアフリカといった地域では、マリアが黒いことは自然なこととして受け入れられました。メキシコの「グアダルーペの聖母」やアフリカ各地の黒い聖母たちは、現地の民衆の肌の色と重なることで、白人支配層が押し付ける「白いマリア」への、あるいは白人支配そのものへの、無意識の反抗心と誇りを密かに代弁する存在となりました。まさか教会側も、布教に利用したマリア像が、自分たちに対する「逆襲」のシンボルになっているとは思いもしなかったことでしょう。
アフリカのブラックマリア
教会が「光・天国・純潔」を象徴する白いマリアを掲げ、地上の生々しい肉体や性を否定する一方で、民衆は無意識のうちに「闇・大地・多産」を司る黒いマリアに、自らの生命の根源を投影しました。黒は、すべてを飲み込み、そして新たな命を産み出す「肥沃な土壌」の色です。去勢された白いお人形ではなく、血の通った、時には恐ろしくもある「産む性」としての本能を、黒い肌のマリアの姿で復権させたのです。
もう一つが、マリアという枠組みに飲み込まれた「土着の女神たちの名残」という意味合いです。エジプトのイシス、小アジアのキベレ、ギリシャのデメテル……。一神教が普及する以前、人々が畏怖し愛した古代の女神たちは、その多くが大地や地下界と結びついた「黒い」属性を持っていました。教会がどれほど古い神々を「異教」として排除しようとしても、民衆はマリアの肌を黒く塗ることで、かつての偉大な女神たちの魂を、教会の監視の目をかいくぐって守り抜いたのです。
ここで注目すべきは、ブラックマリアの多くが11世紀から15世紀にかけて集中的に作られたという事実です。
この時代、ヨーロッパで何が起きていたか。それは、キリスト教会の権威が頂点に達し、同時に「異端審問」や「魔女狩り」といった凄惨な抑圧が始まった時期と不気味に重なり合っています。教会の論理に従わない者は、容赦なく火刑に処せられた時代です。特に、制度化された教会という窓口を通さず、自らが直接内なる神と繋がり、神の叡智(ソフィア)を得ていた神秘主義者たちにとっては、受難ともいえる深刻な迫害の時期だったのです。
この凄まじい抑圧の時代に、ブラックマリアが数多く現れました。それはかつてのグノーシス主義者やこの時代の神秘主義者たちが抱いていた「聖なるレジスタンス(抵抗)」としてのシンボルです。彼らの内なる神性、すなわち封印された女性性は、このブラックマリアに投影されたのです。
彼らにとって、ブラックマリアは単なる偶像ではありませんでした。それは、凝り固まった教会の教義という「冷たい光」に抗う、魂の深淵にある「叡智(ソフィア)」の象徴でした。旧約聖書の雅歌にある「私は黒いけれども美しい」という言葉を、彼らは「穢れているとされる肉体の生命の躍動こそが真に美しい」あるいは「教会という偽りの光が当たらない闇の中にこそ、真実がある」と解釈したのです。
白くない、黒いマリア。それは、男性原理が支配するピラミッド型の組織、つまり記憶と記録によって法と道徳を押し付ける「教会」というシステムに対する、沈黙の抗議でした。異端審問官の目が光る中で、人々は黒い聖母の前に跪き、教会の教える「裁きの神」ではなく、自分たちの内側にある「消せない炎(神性)」を確認し合っていたのです。
そもそも、イエスの教えは倫理や道徳、あるいは守るべき「法」のようなものではありませんでした。後世の人間が、支配に都合がいいように「記憶」し、「記録」し直したものが現在の聖書ですが、それはイエスという存在が世界に遺した、ほんの小さな抜け殻に過ぎません。
エフェソスのヨハネやマリア、あるいは各地の森や洞窟に隠れ住んだ神秘家たちが守り抜いてきたのは、そのような「頭」で理解する規律ではありませんでした。それは、言葉にできない「体験」であり、胸の奥底から湧き上がる「至福なる生命の鼓動」そのものだったのです。
日本で唯一鶴岡にあるブラックマリア
(続く)







