いつも変わらず応援して下さっているみなさま。


今日はお知らせといいますか。


ご報告があります。


少し長くなりますので、お時間のある時にでも、お読みくださいニコニコ



この度、私江頭ひなたは、「うたのお姉さん」のお仕事をまたさせて頂く事となりました。



18歳の時に札幌でスカウトされ、地元でモデル活動をし、

大学卒業後の22歳から東京でずっとタレントとして活動させて頂いていて、

その中で、24歳くらいの時に、

ベネッセコーポレーションさんの『こどもちゃれんじ』の教材のお姉さんに抜擢され、

5年ほどラブしまじろうラブのお姉さんとしてお仕事させて頂いておりましたね。



その時のちびっ子ちゃんたちは、もう小学生になっているそうです。


お子さんの成長は、とてつもなく早いですね。


そりゃお姉さんも歳を取るわけですww



そんな中。


2011年3月11日。


東日本大震災が起きましたね。



あの頃の私は、今もですが、無力で、何もする事が出来ずにいました。



そんな時思ったのは、やはり、子ども達に笑顔になって欲しい、という事でした。


まず私は当時のしまじろうの担当者様に連絡を取り、社長に会わせて欲しい、とお願いしました。


今考えたら、順序そこ!?って感じですよね(笑)


でもその時の私は、もう必死だったのです。

それに誰にお願いしたら、しまじろうと一緒に被災地を回れるのか、わからなかったのです。



企画書をまとめ、社長に、お姉さんとして被災地慰問させてほしいと直談判するつもりでした。



担当者様に企画書を送った段階で、そこまで考えてくれるお姉さんがいたのか、と社内でも会議にかけて下さり、

社長に直談判するまでもなく(笑)

ボランティアとして、全て自己責任として、

しまじろうと一緒に子ども達のいる所をキャラバンさせて頂けたのです。



もちろん、ごくごく一部の地域のみでしたが、それでも、あの時の子ども達の笑顔は、今でも忘れられません。


その慰問の中で、


児童養護施設を訪問させて頂いたのです。


私自身は、とても温かい家庭に生まれ、何不自由ない暮らしをさせてもらって、笑顔あふれる、世界一幸せな家庭に育った、と思えるほど、幸せな幼少期を過ごしましたし、今でもそうです。



しまじろうのお姉さんとしてコンサートに出演しても、

会場に来るファミリーの皆様は、それはそれは幸せそうで。

数千人規模のホールで歌ったり踊ったりできることに、

私自身も楽しかったし、会場の皆さんにも楽しんで頂ているな、って思っていました。


みんなの笑顔が嬉しかった。


でも、その児童養護施設に行った時に、衝撃を受けたんです。


あれ?私の見てきた子ども達と違う。


あれ?お姉さんが笑顔で話しかけても。

あんなに人気のキャラクターのしまじろうが出てきても。



この子達は笑わない。

歌わない。

手拍子もしない。


あれ?どうしてだろう?


そう思いながら歌ったり踊ったりしていると。


もう、この子たち1人1人を無性に抱きしめたくなりました。


私はステージを降りていきました。


もっと近くで、この子達と触れ合いたい。

きっと私なんかには想像もできない辛い事があったに違いない。


先生にお聞きした所、生まれた時に捨てられた子。ネグレクト。虐待。など。

理由は様々ではありますが、こんな小さな体に、

私には計り知れない心の傷があるのだとわかりました。



溢れる涙を必死に堪えながら、目の前の子ども達に、少しでも楽しんでもらいたい!

その一心で歌い、踊りました。




そうしたらね。


最後にはね。



恥ずかしがっていた子どもたちも、しまじろうとハイタッチしたりニコニコ


私たちにお菓子をくれたり爆笑



少し、打ち解けられた気がしました。


そして、忘れられないのがね。



可愛い女の子が。


「私大きくなったら、ひなたお姉さんになりたい」って言ってくれて。


「あら歌のお姉さんになりたいのね爆笑

って言ったら。



「ううん。違う、ひなたお姉さんになりたいの!」って言ってくれたんです。



もう涙腺崩壊ですよね。


なんだよーそれえーんハート


泣かせないでよー。


お姉さん嬉しすぎるじゃないかーえーんラブラブ


あの子が今はどんな夢や目標があるのかはわからないけど、

今でも何かしらの目標を持って生活してくれていたら、お姉さんとっても嬉しいなニコニコ



そんな経験をさせて頂いた時から、漠然と、


ボランティアも勿論だけど、もっともっと身近なお姉さんになりたいな、っていう想いがありまして。



でも、そう簡単に実行できることでもなく、普通の日々を過ごし。

しまじろうの歌のお姉さんを卒業。


その後もタレントを続けながら、

一昨年、事務所を辞め、レギュラー番組もやめ、1年だけ実家の札幌に帰った時に。


20代の時にやりたかったタレントの仕事は、もうやりきって満足したな、って思ったんです。


もうあまり目指す目標とかが、なくなっていて。


歳も歳だし、結婚した方がいいよなー、とか思ったり。


そして1年札幌で休養し、また東京に戻ったとき。


うーん?と、



どうしても心に引っかかることが。



それは、2011年に思った「お姉さん」の仕事。


私はもっと子ども達の前に立ちたかったはず。


毎月ご家庭に届くDVDに出て、テレビの中から話しかけるお姉さん。
数千人規模のコンサートに出ていたお姉さん。


それはもうやった。でも、私はもっといろんな地方の沢山の子ども達と触れ合いたかったんじゃないのか。


モヤモヤとどこか私の心の片隅に、この想いが居続けました。


私はもう30代。


やれるのは、今からの数年しかない。



じゃあ、もう今やるしか無いでしょ!!


ってことで、急ピッチにプロジェクトを進めましたチュー



全て一人で考えてやらなければならないため、大変な事も沢山ありました。



正直泣いた日もありました。




そんな中、私の考えに賛同してくれて、応援してくれて、協力してくれる仲間が、私の周りには沢山いたのです。



それを、ひなちゃんの人徳だね、ってみんな言ってくれるけど。


違う違う!


友達みんなが素晴らしいだけ!!キラキラ



こんなにもステキな仲間が沢山いるんだ!!キラキラ


って思ったら。



もう胸がいっぱいで。




声優さんも、エンジニアさんも、振り付けさんも、カメラマンさんも、メイクさんも、スーツアクターさんも、スタイリストさんも、

このプロジェクトに関わる全ての人が私のお友達なんです!!


上京してきた時は、お友達が0だったのに。

今ではこんなにも素晴らしいお友達ができたこと。 



私は誇りに思います。




しかも皆んな、プロ中のプロ!!




そんなみんなが、私に協力してくれて、このプロジェクトが成り立っていること。



感謝でしかありません。




みんな、本当にありがとう!!



これは、絶対に絶対に、見て頂ける皆さんに喜んでもらえるモノになると、

私は確信しています。


それは、私の力ではありません。



私の周りのみーんなのパワーが合わさった形なのですキラキラ




ひなたは素晴らしい事をしようとしてるから、いくらでも協力するよ。


そう言ってくれた友達みんなの思いを乗せて。



私はこれから、皆さんの前に立ちたいと思います!!



全国各地、いろんなところに行きたいですウインク


あまりそういう公演の少ない地域だったり、

入場料のかからない地元のお祭りや、企業さんのファミリー向けのイベントだったり、

地域センターでやるような子ども向けのイベントだったり。


そーゆうものに積極的に出させて頂ければと思っておりますニコニコ



少しずつではありますが、


皆さんの街に行った時は、是非遊びに来て下さいねハート


お子さんだけではなく、大人のみなさんも楽しめる内容にしております!!


キッズも踊れる、耳障りの良い昭和の歌謡曲なんかも織り交ぜて、

お子さんからおじいちゃん、おばあちゃんまで楽しめる内容となっております爆笑


まだ決まっているショーの数は少ないけど、

またみんなに会えるように、姉さん、頑張りますねウインク




そしていつかまた、ボランティアもしていきたいなルンルン




それでは!!!!!!!!




私の相棒を紹介します!!



名前は「ルーク」!!




みんなー!!


ルークとひなたお姉さんの事!!


宜しくねっラブラブ


お友達になってねーキラキラキラキラキラキラ





最後まで読んでくれてありがとう爆笑




それでは!!


今日も笑顔でいきましょーハートハートハート






☆ひなた姉☆