市子

 

 

監督:戸田彬弘

主演:杉咲花

 

あらすじ

恋人の長谷川からプロポーズを受けた次の日、突然行方をくらました市子。

長谷川は市子の居場所を探す中で、彼女の人生にまつわるさまざまな事実を知ることとなる。

 

感想(※ネタバレあり!)

 

①全体を通して

 まず全編を見て感じた一番のことは、一つ一つの小道具やセット、撮影場所が作り込まれていてリアリティがあった。

私は平成生まれなので、失踪した市子のポーチに入っていたキャンメイクのクリームチークなどには(今もまだあるのかもしれないが)「うわっ」と声が出た。

市子という女の子が歩んできた壮絶な人生は、決して非日常ではない。

あくまで彼女が、当たり前にそこに生きていた人間なのだということを教えてくれる。

 

 物語は長谷川が失踪した市子を追う現在の視点と、第三者から見た市子の過去の視点を交互に描きながら進んでいく。

長谷川が見ていたのは、か弱く守ってあげたくなるような儚い、家庭的な女の子の市子。

第三者から見た市子はその長谷川が思っているより、狡猾でミステリアスな女の子でる。

そして物語が進むにつれて、どんどんと市子の本来の姿が輪郭を帯びていく。

 

②生まれてくる環境、生きてきた道

 市子において難しいと感じ、憎らしいと感じたのは、一概に生まれてきた環境が「最悪」とは言えない点であると思う。

もちろん、一般的な幸せな家庭ではない。

しかし、市子の母は育児放棄をしているわけではなく、娘にも手料理のお弁当を夕食に持たせるシーンがあるし、月子もそこそこの年齢まで面倒を見ていたように思われる。

現在の関係性からも、とても愛情をかけていた、とは言えないのかもしれないが、おそらくは根はまともな人間で、母親であったのだろう。

女同士の親子関係特有の戦友のような、親友のような、市子と母親の間にはそんな関係があったのではないかと思う。

ソーシャルワーカーと、4人家族として過ごした一瞬のシーンにはなぜこの幸せが長く続かなかったのであろうと胸が締め付けられた。

ソーシャルワーカーの収入と、母の水商売での収入があれば、なんとか生きて行けたのではないか。けれど、そうはならなかった。

あと一歩のところまで行くのに、手が届かない。幸せが目の前で何度も音を立てて崩れ落ちていく。そんな人生が、市子を狡猾にしたのかもしれない。

 

③市子という人

 杉咲花さんの演技が素晴らしい。この映画を見た人は皆そう言うとは思うのだが、あえて言わせて欲しい。彼女の身近に感じられるお顔立ちと(もちろん実際に会ったらお顔が小さすぎてひっくり返るとは思うが)、少し舌足らずであどけない話し方は、まさに市子であった。

正直、クラスに居たら女子は「なんであの子がモテるの?」と思うのではないだろうか。けれど、一見清楚な彼女がふと無邪気な顔を見せた時「守ってあげたい」と男心をくすぐるのだろうということは本編で少しだけ描かれた彼女の学生生活のシーンでも十分に見て取れた。

それは市子自身の魅力であり、才能である。周りの人間を巻き込んで進んでいく。それも無意識に。

そして人に対して執着がない。去るもの追わず、来るもの拒まずのようなスタイルだ。

北と二人で歩くシーンでも、必要以上の会話はしない。その間が北の心を狂わせる。

先ほども表現したが、市子は狡猾であると思う。

他の人がしないような経験を経て、こう振る舞えば人はこう動くということを理解している。もしかしたら彼女の儚い雰囲気も今までの経験から得たものなのかもしれない。

 

 ラストの長谷川との出会いから過ごした日々の描写には思わず笑みが溢れるような温かい気持ちになった。それまでの彼女の過去など、どうでもいい。幸せで居てくれ。と、なぜか願ってしまう。ラストまで見てきて、市子に対し思うこともあったはずなのに、恐怖すら感じる瞬間もあったというのに、なぜか長谷川と過ごしているあどけなく可愛いただの女の子、市子が市子本来の姿だと信じてしまう。どうかまたあの時間が戻ってきますようにと願ってしまう。けれどそうはいかないのである。

 

 失いたくないものまでも切り捨てて彼女は進んでいく。自分自身の過去を武器にして。もう怖いものはないのだ。

きっと市子はまた、次の場所で大切だと思える人に出会うのだと思う。叶えたいと思う夢にも出会うだろう。彼女は彼女の方法で、彼女らしく、生きて、生きて、生きていくのである。川魚のように流れに乗って、岩の間をうまくすり抜けて。日常に溶け込んでいくのだ。

 

市子、どうか幸せに。

 

長谷川が、「俺が守るから」と市子の前に現れないことを願う。