看取りは


ある日突然やってくることもあれば


長い年月を掛けて訪れる時もある。


今日で


父が亡くなり21年が過ぎる。


闘病生活が一年弱だった。


身内を看取ったのは

初めてだった。


末期癌で

余命宣告を

受けていたが


なんとか

誤魔化していた。


最後の言葉は


俺は死ぬのかなあ?


そんなわけないじゃん。


モルヒネを

飲んでいたので

意識は、もうろうとしていた。


ありがとう。

もう寝る…


電気消してくれるか?


おやすみ、

明日も来るよ。


20時過ぎだった。


病院から連絡が

あったのが

2時過ぎ。


いつも

車の中で

嗚咽するぐらい泣きじゃくっていた。


さっき

おやすみって

言ったのに。


安らかな顔だった。


今でも

はっきり覚えている。


もう

苦しみから

解放される事を

待つだけの日々だった。


それでも

生きていてほしい。


残酷だ。


後にも先にも


腰が抜けたのは


初めてだった。


20年以上経った今でも


私の名前を

呼んでる声が聞こえる。


いつだって

私の味方でいてくれた。


父が居なければ


今の私は居ない。


亡き父は

兄妹、実母との


裁判を

どのように見ているのだろう。


成仏された人に


心配を掛けるのは


不甲斐ないし


情けない。


仕方がないとはいえ


あの世で


安らかに過ごして欲しい。


看取りにも


色々ある。


最期は

見取れなかったが


父のことだから


きっと、私の悲しむ顔は


見たくなかっただろうし


見せたくなかっただろう。


本当は

お墓参りに行きたいんだけど


行けれなくて

ごめんね。


でもね、


側にいて

見守ってくれてること


分かっているから。


いつもありがとう…




父の命日を


忘れることは

ない。


命の恩人だから。