卒寿の日 紫芋で 我祝ふ
![避難じいさんの『今日のおもひで。』ーZー-今日のおもひで。](https://stat.ameba.jp/user_images/20110503/18/hinanzisan/f5/22/j/t02200165_0640048011203676848.jpg?caw=800)
明けて今日、5月5日は、わしの九十歳の誕生日でしての。
いわゆる「卒寿」と呼ばれるものですじゃ。
十五で志学、三十路で而立、四十路で不惑…と過ごして、九十年。
卒寿は、古くから、紫色のものでお祝いすることになっておるのじゃが、
わしの場合は、もう歳が歳ゆえ、手近なところで、
紫芋の1つでもあればよいと、思うておりまする。
いやはや、それにつけても、
九十年も生きておると、実に様々なことがありましての。
無論、心から笑える日もあれば、
身を切るような想いや、
耐え難い現実に抗うことすらできずに、
ただただ、打ちひしがれるだけの日々もありまする。
じゃが、この歳になりて、つとに想うのは、
「それまた、よし。」という気持ちでしての。
良きことも、悪しきことも、
共にあるがこその毎日じゃと、わしは想うておりまする。
おそらく、この日記をお読み頂いておる皆さんの多くは、
まだまだわしよりお若い方が多いと想うのじゃが、
九十年生きた、わしの素朴な気持ちで申し上げると、
この長い歳月は、本当に一瞬のことでしての。
言うなればそれは、
昼寝から覚めてみたら、あっという間にこの歳になっていたというような、
そんな、「浦島太郎さん」さながらの気持ちですじゃ。
もしかすると、良きことも、悪しきことも、
すべてはやがて消えゆくうたかたの夢。
どれ1つとて、本質的には、
そう長くは続かぬものなのやもしれませぬのう。
とはいえ、どの道、そう長くはないというのであれば、じゃ。
泣いたり、怒ったり、苛立ったりするよりも、
願わくば、無理のない範囲で、
終生、朗らかな心持ちのまま、笑顔で過ごしたきものですの。
さすれば、必ずや、多くの笑顔に囲まれて、
過不足なく、自分なりの仕合わせな時間を過ごすことができるじゃろうと、
この老いぼれは想いまする。
起きて半畳、寝て一畳。
天下取っても二合半。
多くを求めず、勝ちて驕らず、欲に溺れず。
いつでも、幼子がごとき素直な心が欲するままに、
そして、世から人から求むらるるがままに、
身の丈にあったこと、自分のできることを慎ましく。
誰しも、子供の頃に当たり前のように想うておったことを、
大人になると忘れてしまいがちですからの。
わしは終生、子供のやうな心で過ごしたいと想いますじゃ。
皆さん、本当にありがたう。
縁あって皆さんとお知り合いになり、
今宵、皆さんとこうして過ごせるということ、
そして、今日という日があることに、
わしは心から感謝しておりまする。
すべての命、すべての心、すべての笑顔に、ありがたう。
以上、拙き言葉なれども、
皆さんへの感謝の気持ちを込めつつ、
卒寿のご挨拶にかえて。
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<避難じいさん>