卒寿の日 紫芋で 我祝ふ
明けて今日、5月5日は、わしの九十歳の誕生日でしての。
いわゆる「卒寿」と呼ばれるものですじゃ。
十五で志学、三十路で而立、四十路で不惑…と過ごして、九十年。
卒寿は、古くから、紫色のものでお祝いすることになっておるのじゃが、
わしの場合は、もう歳が歳ゆえ、手近なところで、
紫芋の1つでもあればよいと、思うておりまする。
いやはや、それにつけても、
九十年も生きておると、実に様々なことがありましての。
無論、心から笑える日もあれば、
身を切るような想いや、
耐え難い現実に抗うことすらできずに、
ただただ、打ちひしがれるだけの日々もありまする。
じゃが、この歳になりて、つとに想うのは、
「それまた、よし。」という気持ちでしての。
良きことも、悪しきことも、
共にあるがこその毎日じゃと、わしは想うておりまする。
おそらく、この日記をお読み頂いておる皆さんの多くは、
まだまだわしよりお若い方が多いと想うのじゃが、
九十年生きた、わしの素朴な気持ちで申し上げると、
この長い歳月は、本当に一瞬のことでしての。
言うなればそれは、
昼寝から覚めてみたら、あっという間にこの歳になっていたというような、
そんな、「浦島太郎さん」さながらの気持ちですじゃ。
もしかすると、良きことも、悪しきことも、
すべてはやがて消えゆくうたかたの夢。
どれ1つとて、本質的には、
そう長くは続かぬものなのやもしれませぬのう。
とはいえ、どの道、そう長くはないというのであれば、じゃ。
泣いたり、怒ったり、苛立ったりするよりも、
願わくば、無理のない範囲で、
終生、朗らかな心持ちのまま、笑顔で過ごしたきものですの。
さすれば、必ずや、多くの笑顔に囲まれて、
過不足なく、自分なりの仕合わせな時間を過ごすことができるじゃろうと、
この老いぼれは想いまする。
起きて半畳、寝て一畳。
天下取っても二合半。
多くを求めず、勝ちて驕らず、欲に溺れず。
いつでも、幼子がごとき素直な心が欲するままに、
そして、世から人から求むらるるがままに、
身の丈にあったこと、自分のできることを慎ましく。
誰しも、子供の頃に当たり前のように想うておったことを、
大人になると忘れてしまいがちですからの。
わしは終生、子供のやうな心で過ごしたいと想いますじゃ。
皆さん、本当にありがたう。
縁あって皆さんとお知り合いになり、
今宵、皆さんとこうして過ごせるということ、
そして、今日という日があることに、
わしは心から感謝しておりまする。
すべての命、すべての心、すべての笑顔に、ありがたう。
以上、拙き言葉なれども、
皆さんへの感謝の気持ちを込めつつ、
卒寿のご挨拶にかえて。
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<避難じいさん>