自己紹介をしたいのですが、
実際に避難者支援はすでに動いており、
私事ですが、実家とはいえ母子の生活、新しい仕事もあり、
なかなかブログ更新の時間も満足に取れない状況です
「尾道・地球エコの会」という団体に依頼されて、
避難に至る経緯を文章にしたことがあります。
尾道地球エコの会HP
トップページ右側、「おのエコ通信」の51号です
下に、内容を転載しておきます
********************
6月30日。私は4歳の息子を連れて、埼玉から尾道の実家へ疎開しました。
3月にも17日から2週間、尾道へ短期避難をしたときには、息子の幼稚園入園を控えていたこともあり、収束の気配を見せない福島原発に不安を抱きながらも、埼玉の自宅へ戻りました。
しかし政府発表は、「実はレベル7でした」「メルトダウンでした」「メルトスルーでした」など後出しばかりで、それで「市場に出ているものは安全です」「ただちに健康に影響はありません」と言われても信用できるはずはなく。
同じレベル7のチェルノブイリ原発事故は9日間で収束し、汚染区域は原発から300kmに及びます。
いまだ放射能漏れが止められない福島原発から220kmに住む私達が安全である確証は、どうしても持てませんでした。
それからは毎日、インターネットによる情報収集の日々。
埼玉で安全に暮らせる術を求め、実践していました。
息子にわかる言葉で「福島から煙がたくさん出てて、お鼻やお口から入ったら病気になっちゃうかもしれないから」と説明すると、息子は自らきちんとマスクを付けてくれました。
空気中の線量が減ってからは、放射性物質は地面に落ちているそうです。
幼稚園から帰ると「今日はお外で遊んだ?砂場で遊んだ?」と聞くのが習慣になりました。
砂から息子の体に付いた放射性物質を取り除くため、帰宅したら真っ先にシャワーをします。
自宅は、床を水拭きすることで放射性物質を除染できるので、今までより念入りに掃除するようになりました。
地面に落ちた放射性物質は、野菜などの食材にも付着します。
スーパーでは産地を見て、なるべく西日本のものを選びますが、根菜はまだしも、葉物はなかなか遠くからは入荷されません。
小さな子どもがいると、ただでさえ買い物が大変なのに、1日のうちに数店のスーパーをはしごすることもしばしば。
そんな生活に疲れが出始め、それと同時に、自分は息子の健康を守るために最大限のことをやれているのか、といった考えも浮かびました。
もし、「あのときに尾道へ疎開しておけばよかった」そう思うときが来たら……。
今の仕事は?息子の幼稚園は?友人は?
さまざまな足かせが頭に浮かびました。
悩みました。
でも何を考えても結局最後には、「でも息子の健康と天秤にはかけられない」。
3月、まだ原発の危機を感じていなかったとき、テレビで11日の地震・津波の被害に遭われた方が「家は流されたけど、家族が無事だから」「遺体が見つかっただけ、うちは良い方」そんなふうに話すのを見て、今までの自分の悩みがいかに小さいものだったか思い知りました。
「仕事が無くても、家が無くても、何が無くても……家族が元気なら、きっと生きていける」そう痛感しました。
そのことを思い出し、5月半ば、長期疎開を決意しました。
尾道へ引っ越してからはご縁があり、尾道近辺に疎開している他の方達と交流しています。
驚いたのは、その中で尾道出身・両親宅があるという人は極少数だったこと。
関東では、放射能の話題を避ける傾向にあります。「自分にはここにいるしかないから、考えても仕方がない」「怖いから考えたくない」という方達もいるし、関東が危ないかもしれないと言うと、頭がおかしくなったんじゃないか、変な宗教に入ったんじゃないか、などと言われることもあるそうです。
放射能は目に見えないので、人によって意識の温度差が大きいです。
疎開してきた方達はその経験から、疎開してもその理由を周囲に話せないまま、ひっそりと暮らしている場合が多いです。
交流会に初めて来られると、変な心配をせずに堂々と原発の話や放射能対策について情報交換ができ、すっきりした笑顔になります。
そして、「自分の子どもが安全になれば終わりの話ではない。他の子ども達も守るために、自分に何ができるだろうか」そんな風に意欲的な話になります。
みなさん基本的に、ご主人を関東へ残してきています。
ただでさえ子育て支援が必要とされている現代ですから、親族もいない新しい土地に母子だけで住むには、いろいろな手助けが必要です。
尾道近隣に住まれている方達にはまず、疎開している人がいる現状を知っていただきたいです。
そして、疎開している方がいらっしゃったら、どうぞこの尾道・地球エコの会の会員の方とご連絡取っていただいて、私達とつながらせていただければ嬉しいです。
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ミユキ
実際に避難者支援はすでに動いており、
私事ですが、実家とはいえ母子の生活、新しい仕事もあり、
なかなかブログ更新の時間も満足に取れない状況です

「尾道・地球エコの会」という団体に依頼されて、
避難に至る経緯を文章にしたことがあります。
尾道地球エコの会HP
トップページ右側、「おのエコ通信」の51号です

下に、内容を転載しておきます

********************
6月30日。私は4歳の息子を連れて、埼玉から尾道の実家へ疎開しました。
3月にも17日から2週間、尾道へ短期避難をしたときには、息子の幼稚園入園を控えていたこともあり、収束の気配を見せない福島原発に不安を抱きながらも、埼玉の自宅へ戻りました。
しかし政府発表は、「実はレベル7でした」「メルトダウンでした」「メルトスルーでした」など後出しばかりで、それで「市場に出ているものは安全です」「ただちに健康に影響はありません」と言われても信用できるはずはなく。
同じレベル7のチェルノブイリ原発事故は9日間で収束し、汚染区域は原発から300kmに及びます。
いまだ放射能漏れが止められない福島原発から220kmに住む私達が安全である確証は、どうしても持てませんでした。
それからは毎日、インターネットによる情報収集の日々。
埼玉で安全に暮らせる術を求め、実践していました。
息子にわかる言葉で「福島から煙がたくさん出てて、お鼻やお口から入ったら病気になっちゃうかもしれないから」と説明すると、息子は自らきちんとマスクを付けてくれました。
空気中の線量が減ってからは、放射性物質は地面に落ちているそうです。
幼稚園から帰ると「今日はお外で遊んだ?砂場で遊んだ?」と聞くのが習慣になりました。
砂から息子の体に付いた放射性物質を取り除くため、帰宅したら真っ先にシャワーをします。
自宅は、床を水拭きすることで放射性物質を除染できるので、今までより念入りに掃除するようになりました。
地面に落ちた放射性物質は、野菜などの食材にも付着します。
スーパーでは産地を見て、なるべく西日本のものを選びますが、根菜はまだしも、葉物はなかなか遠くからは入荷されません。
小さな子どもがいると、ただでさえ買い物が大変なのに、1日のうちに数店のスーパーをはしごすることもしばしば。
そんな生活に疲れが出始め、それと同時に、自分は息子の健康を守るために最大限のことをやれているのか、といった考えも浮かびました。
もし、「あのときに尾道へ疎開しておけばよかった」そう思うときが来たら……。
今の仕事は?息子の幼稚園は?友人は?
さまざまな足かせが頭に浮かびました。
悩みました。
でも何を考えても結局最後には、「でも息子の健康と天秤にはかけられない」。
3月、まだ原発の危機を感じていなかったとき、テレビで11日の地震・津波の被害に遭われた方が「家は流されたけど、家族が無事だから」「遺体が見つかっただけ、うちは良い方」そんなふうに話すのを見て、今までの自分の悩みがいかに小さいものだったか思い知りました。
「仕事が無くても、家が無くても、何が無くても……家族が元気なら、きっと生きていける」そう痛感しました。
そのことを思い出し、5月半ば、長期疎開を決意しました。
尾道へ引っ越してからはご縁があり、尾道近辺に疎開している他の方達と交流しています。
驚いたのは、その中で尾道出身・両親宅があるという人は極少数だったこと。
関東では、放射能の話題を避ける傾向にあります。「自分にはここにいるしかないから、考えても仕方がない」「怖いから考えたくない」という方達もいるし、関東が危ないかもしれないと言うと、頭がおかしくなったんじゃないか、変な宗教に入ったんじゃないか、などと言われることもあるそうです。
放射能は目に見えないので、人によって意識の温度差が大きいです。
疎開してきた方達はその経験から、疎開してもその理由を周囲に話せないまま、ひっそりと暮らしている場合が多いです。
交流会に初めて来られると、変な心配をせずに堂々と原発の話や放射能対策について情報交換ができ、すっきりした笑顔になります。
そして、「自分の子どもが安全になれば終わりの話ではない。他の子ども達も守るために、自分に何ができるだろうか」そんな風に意欲的な話になります。
みなさん基本的に、ご主人を関東へ残してきています。
ただでさえ子育て支援が必要とされている現代ですから、親族もいない新しい土地に母子だけで住むには、いろいろな手助けが必要です。
尾道近隣に住まれている方達にはまず、疎開している人がいる現状を知っていただきたいです。
そして、疎開している方がいらっしゃったら、どうぞこの尾道・地球エコの会の会員の方とご連絡取っていただいて、私達とつながらせていただければ嬉しいです。
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