初めまして。宜しくお願いします。
別にブログをやっているのですが、
震災関連についてはこちらに書こうと思います。
3月11日の震災から今日まで。
そして、いつまで続くか分からない避難生活など、
震災の日から振り返って書いていければと思っております。
後になって振り返って、自分の記録になるようなブログに出来たらと思います。
まずは、簡単な自己紹介から。
私は40代半ばで子供は二人。一応嫁さんもおります。
震災当時は原発のある大熊町で生活しておりました。
今は、仕事の関係で家族とはなれての2重生活!
嫁の心配は光熱費だけだそうです。
嫁と子供達は会津。私はいわきと震災前には考えられない生活をしています。
それでは、これから宜しくお願いします。
とりあえず、震災当日。
私は仕事で外回り、嫁は会社で事務の仕事。
突然の揺れで、得意先の中にいた私は思わず外へ飛び出す。
立ってもいられない状況の中とりあえず揺れの納まるのを待とうと。
しかし、一向に納まる気配もなく、揺れる、地面は地割れ。
周りの人たちもみんなうつぶせ。
駐車場は地面がうねって、車もぶつかっていた。
しばらくして、なんとか動けそうだと思い、車に乗り込み嫁に電話。
この時は繋がった携帯も、後に不通に。。。
私も嫁も心配なのは子供のこと。
とりあえず、家に向かい子供を守ることに。
家までの間も余震は続き、途中マンホールが飛び上がっていたり、地割れ。
倒壊した家も。
それでもなんとか家まで辿り着くと、子供達は集団下校で空き地で泣き崩れていました。
ほっと一安心。嫁に連絡するも、この時から携帯はかかりにくく。
子供達を抱きしめ、しばらくすると嫁もその場に。
なんとか家族の無事を確認し会社に戻ることに。
それからは子供達は嫁と一緒に嫁の車へ。
家に入るのも怖く、車の中のほうが安心できるらしかったです。
これで安心というわけにもいかなかったのです。
普通の会社ならみんな今日は帰っていいよ。
というところが、うちの会社は違った。
倒れた棚、書庫、割れたガラス、パソコン、机などなど、
片付けの作業に。
しかも、停電だというのに、暗くなるまで。
今になって思うとすべて無意味だったのですが。
もう二度とあそこで仕事することもないのに。。。。。。
その後帰宅。
もう7時。
ありえない。
その後は、また書きに来ます。
とりあえず今日はここまで。
ちょっと眠くなってきたので、おやすみなさい。