鎌倉あじさい寺のあじさいの写真を送ってもらいました。

明月院だそうです。

鎌倉には3つあじさい寺があります。

明月院はその中でも私の最も好きなお寺です。

 

 

写真は息子が送ってくれました。

「6月に鎌倉に行けるなんてなかなかないから

写真送って!」とお願いしました。

 

 

神奈川県民にとっては、

鎌倉は決して遠い場所ではありませんから、

行こうと思えばいつでも行ける、はずなのです。

それでもなかなか行けないもの。

ましてあじさいが見ごろの6月を狙って行く

ということはなかなかできません。

 

 

その場所でその時が一番魅力を発揮する

地上のエネルギーを吸い込んで

最もその美しさを発散させる

生命体に備わった能力ですね。

 

 

閾値、という言葉があります。

閾値とは「感覚や反応や興奮を起こさせるのに必要な、

最小の強度や刺激などの(物理)量」という意味。

人間の能力にも閾値があります。

子どもが最も適切な時期に適切な刺激を受け取ると

自主的に学ぶことができますが、

その時期のことを「発達の最近接領域」と言います。

ヒトにも学びや成長の閾値があるんですね。

 

 

写真を送ってくれたのは私の息子です。

彼にとって中学時代は何の期待もできない、

行かなければいけないだけの所だったと思います。

部活に写真部があったことは救いだったと思います。

写真だって特別好きではなかったかもしれませんが、

せめてひとつくらい

楽しめるものがあればいいと思って入ったと思います。

 

 

私はあの頃の息子を尊敬しています。

小学校もずっと嫌なことばかりで、

中学校だって何の期待もしていなかったと思います。

それなのに

ただ、ただ学校に通い続けたこと、

自分にそれができただろうかと思うと

自信がありません。

ただただ続けること、すごいことです。

 

 

あの頃の彼は

何の利益を感じて登校し続けたのかな

何に期待して登校したのかな

家族を困らせないためだったのかな

きっと瞳のシャッターを下ろしたまま

刺激も受け取っていなかったのではないかな

ただ、週に一度だけ

カメラのシャッターを切ることをしていた。

それも本人にとっては

すごくやりたくてやっていたわけではない。

ただそこに部活があったからだけかもしれない。

 

 

たまたまそういうことになった

でも、それが彼の学びの「閾値」だったと思うのです。

心に触れた最小限の刺激だったのでしょう。

自分自身で取り込んだ最小限の刺激が大きな学びになる。

その学びはその瞬間で終わってしまう。

でも、

持続はしないけれど必ず脳に残ります。

 

 

それから7年も8年も経ったあと、

息子は久しぶりにカメラを手にして

卒業制作を乗り越え大学を卒業することができました。

 

 

息子はカメラマンになったわけではありません。

全然関係ない、キツイ仕事をしています。

私は彼がどのくらい写真が好きなのか知りません。

でも、写真というツールと出会って

本当によかったね。

 

 

彼は命の危険もあった

綱渡りみたいな人生だけれど、

綱がいつでも1本に繋がっていること、

それが息子のすごいところだと思います。

必ず繋いでいる。繋がっている。

人も繋がっている。

君の力だよ。

 

 

何があなたの役に立つかわからない

どれだけ役に立つかもわからない

でもなんでももらっておくといい

とりあえず、引き出しの中にでも

入れておくといい

 

 

でも、「なんでももらっておくといい」

という感覚は

若い人にはなかなか伝わらない (笑)

 

 

 

 

 

 

 

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