春を見つけに公園に来てみたけれど、

まだまだ冬景色でした。。。

 

 

 

さて、「80-50問題」という言葉は

ただの脅しだと先日書きました。

ひきこもりが50代にも沢山いることがわかって、

社会がびっくりして生まれた言葉。

 

 

子が50代だということは

親は80代だろう、そうなってしまうと

もう親はそうそう動けない。

社会で考えるしかない。

という流れです。

 

 

ひきこもり支援をやってきて、

確かに80代の親御さんからの相談は増えています。

実際は親御さんが相談に来るよりも

きょうだいが相談に来る方が圧倒的に多いです。

きょうだいにしてみれば

親亡き後を考えるとたまったものではありません。

 

 

結論を言ってしまうと、

80-50世代になったらもう諦めるしかありません。

お互いが自分自身の人生にただ向き合うしかありません。

責任を捨て、義務感を捨て、

お互いの気持ちを探ろうとするのを諦めて、

自分の気持ちと向き合うしかありません。

 

 

80-50世代の親御さんの相談をしていて感じるのは、

趣味があるかないかで

その人の人生が違ってくるということです。

 

 

コーラスの練習があるから

その日はひきこもり相談よりも

レッスンを優先するお母さん。

 

 

区の美術展に出展するために

せっせと絵を描くお母さん。

 

 

親亡き後にお金を沢山残してあげようと

せっせと働くお母さん。

 

 

悲しいかな、

お父さんが趣味を頑張っているという話は

あまり聞かないのですが。

 

 

親亡き後、と聞くと、

その時の子どもの立場ばかりが注目されますが、

その時を迎えた親の立場を

考えた方が子どもにとっても利益があると思うのです。

 

 

「親がいなくなったら子どもはどうなるの?」

ではなくて、

「自分が死ぬとき、自分は生きていてよかったと思えるだろうか」

と考えることも大切だと思うのです。

 

 

子どもに生きる権利があるとしたら、

親にも生きる権利がある。

たとえ親のせいで子どもがひきこもりになったとしても、

親がその失敗を一生背負うことが

正しいことなのでしょうか。

 

 

違うと思うんです。

 

 

何事も、執着してうまくいくことはない。

伝統芸能とか伝統品を受け継ぐなら別ですが。

 

 

だから、まずは、

親御さんが自分自身にもっと興味を持ってもらいたい。

その手始めが「趣味を持つこと」だと思うのです。

 

 

何歳になっても、

子どもは親の背中を見ているものです。

何歳になっても、

子どもは親の笑顔を見れば

安心します。

 

 

 

 

 

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