歳月を費やして作り上げたものが、
一晩で壊されてしまうことに
なるかもしれません。
それでも作り続けなさい。


今日善い行いをしても、
次の日には忘れられるでしょう。
それでも善を行いを続けなさい。


持っている一番いいものを分け与えても、
決して十分ではないでしょう。
それでも一番いいものを分け与えなさい。



マザーテレサの言葉です





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人に親切にして
人のために一生懸命やっても
感謝されなかったり


何かをしてもらうことが
当たり前になってることが
たくさんある


社会生活の中で
対価なしに受け取れる
「当たり前」なんて僅かなもの



「タダほど高い物はない」と
言われるように
どんな商品も、サービスも
無償で提供されることは
ほぼ無いし
あっても
何かウラがあるもの
(もっと高価な物を売るためのエサだったり、広告収入が設定されていたり)



愛情でさえ
見返りを求められる


バレンタインに
チョコレートを貰えば
ホワイトデーには
ティファニー·····みたいな(笑)




だから

壊されても
忘れられても
満足しなくても
与え続けるマザーテレサの愛は····
神の領域


そこまで高尚な人間には
到底なれない····(笑)



人はしてもらうことに
慣れてしまうと
「感謝」という形の無い
でも一番大切なお返しを
すっかり忘れてしまうことがあります




そんなときは
「なんだか寂しい」
気持ちになる




「良いことをした!」
「愛を注いだ!」ってときは
やっぱり
誉めてほしかったり
「ありがとう」がほしい···




凡人の私は
そんなエゴをちょっぴり抱えて
日々、生きている



しかし
マザーテレサのように
与え続けることを
「苦行」でなく「無償の愛」として
行っているなら···


ある意味それも与えるという
エゴかもしれない



自分が望んだ行動
心が望んだこと
自分がやりたいことを
やっている



相手が望むかどうかはさて置いても
愛を与え続ける



他人が
「そんな大変なことやめておきなさい」
と止めたとしても
自分の信念のために行う



もちろん
自分勝手や迷惑になるのは
論外だが



誰かに何かをしてあげたい❗️という
自分の心を満たすための
エゴから動き出す
「無償の愛」もあると
いえないだろうか





遠い昔
我が子のために
手間暇かけて
離乳食を作ったのも
愛ある行動



手を掛けた離乳食を
作って食べさせたい
という利他的めいたエゴだ




かくしてそれを
ひと口で
「べ~っ」と出した長男❗️
キミは正直だ
まさにエゴそのものだが
キミは悪くない




以後、こんなことで
「イラッ❗️」とするくらいなら
お店で瓶詰めのベビーフードを買おう!
と決心した若き日を思い出す




自分のエゴ
自己満足のために
息子のためにも
自分のためにも
ならないことをしていた(笑)


それに気づいて
手放すことも愛



愛は時に
エゴも包含するが
どんな形にも変化し
すべてを受け止める



たとえ高尚な人間に
なれなくても
 「べ~っ」っと
吐き出されても

愛は許し
愛は変わらない