日曜日の夜が終わろうとしている。
今日はいつものようにお昼前に礼拝に向かった。

本日の聖歌伴奏は私になっていたので、まず教会に入ってすぐにパイプオルガンのtuningをしてペダルが踏めるかどうか不安げに踏んでみた。

よし!イケる!!


牧師さんのお説教のあいだ、短期語学研修でやって来ているらしい日本人留学生の女の子四人組が遠慮なしにずっと喋ってたのがイライラして、ソっと席を立ち注意に行って収まらせた。
まず礼拝に来る服装とは程遠い露出度120%の身だしなみにこちらが恥ずかしく思った。

何しに来たのか分からないが、その四人とは礼拝後少しだけ話そうと約束だけをし、私はパイプオルガンのある階上に向かった。

伴奏するときにはもうイライラも消えていた、と言おうか、いつもピアノに向かう前には必ずmeditateして気持ちを落ち着かせるようにしている。

三歳の頃からピアノを始めて私は、
“hot-tempered”と言われるように気性が激しかったためそれがいつも音となって演奏に影響していたということで meditateすることは必須条件だった。


パイプオルガンを演奏することは、音が壮大に響き演奏している私はとっても気持ちがよかった。

演奏者には譜面を見ながら演奏する人も多くいる。がしかし私はすべてを暗譜する。そしてその中で自分自身のimageを創りあげて音にすることにしている。
だから演奏しているときには、完全に自分だけの音の世界にいられることになる。


小さい頃はレッスン前の練習が大嫌いで、コーチに入るママにもたもたしている手をピシャッとはねられたり本気で取り組まない私を泣くまで叱ることも少なくはなかった。
手がもともと小さく、1オクターブも手が届かないし、同時期からバイオリンをしていたので弦を押さえる指がよく切れていて痛みも手伝って、小さな手が言うことを聞いてくれずに負けず嫌いの私は泣いてばかりだった。

こんな感じに、幼少期の自分のピアノに対する取り組み方はあり得ないほど酷いものだった。


一度ピアノに向かえなくなった時があった。
まあそれはここで書くことはやめておこう。



音を奏でるということは、自分の今もっている感情を表現することひとつの手段と思っている。
暗譜してimageを創るとき、そのときの感情で創りだされるimageは変わる。

今、毎日がとってもしあわせに感じられていて、優しい気持ちのなかで、それでいてこの音を太平洋を越えた場所に響かせたく力強さも加わっていたと思っている。


音楽はすばらしい。

音楽はその時代を思い起こさせ、その一瞬のにおいを思い出させてくれる。



スポーツも女の子のレベルを超えた位置にあったが、こんな病気になりなかなか前ほどの運動能力は取り戻せないかもしれないけど、音楽はどんなかたちであるにせよ続けていこうと思う。


小さい頃は大キライで泣いていた音楽。
でもそのことがなかったら、本当に今のように音楽はすばらしいとは思えなかったと思う。


音楽に出会えたことは偶然ではなく必然なのである♡


おしゃべりばかりしていた日本人短期語学研修生については、こんないい気分だから書く気なくなっちゃった(*^▽^*)


では明日からの新しい1週間も頑張ります!