格安航空会社 Air Asia(バリ島までRM8=216円?) | Hinakoのマレーシア快適生活!

格安航空会社 Air Asia(バリ島までRM8=216円?)

格安航空会社の「Air Asia」を使って、「コタ・キナバル」に行って来ました。


Hinako の マレーシア快適生活!-Air Asia

<Air Asiaの赤と白の機体>

往復のチケット代金はRM250(乗った時は約8,000円くらいでした)でしたが、「ボーディングパス」を受け取った時は思わず、眼が点になりました。

それはまるで”スーパーのレシート”みたいだったからです!

あのスーパーのレジから出て来る白い薄っぺら紙と同じ様なものに「便名」と「時間」がプリントアウトされていました。

本当いらないレシートだと思って間違って捨てそうでした!

こう言うところで”コスト削減”をしているのだなぁ~と妙に感心させられました・・・。

席も決まっていませんでしたよ。

つまり、面倒な事(必要のない事)は全て排除する・・・姿勢で格安に・・・?

そして、”飛行機に乗る事は贅沢でなく普通との感覚を持ってもらい、頻繁に利用してもらう・・・のがコンセプトでしょうか?


更に、このAir Asiaは時々、ものすごいキャンペーンをするのです。

一例として、「バリ島片道RM8!!!」と言うのがありました。

実際、私の友達はそれで「バリ島」に行って来たのです。

RM8=216円・・・たったの216円ですよ。

帰りの便はRM300位するらしいのですが、それでもバリ島まで往復8,300円くらい!

信じられない様な格安の値段です。

(記念時には片道RM”0”と言うのも聞いた事があります。)

また、そのAir Asiaが日本にも就航する(KLと成田間が片道1万円)!!!との記事を今年の初めにマレーシアの日本語新聞で読んで、狂喜したのですが・・・。

ところが今日現在・・・未だに就航してません(涙)。

このご時世、「無理かもしれない・・・。」と私は相当、あきらめムードなのです。

でも、なんとかして就航してもらいたものです!!!

来年の実現を願って新しい年を迎えたいと思います。


★チケットが2~3万円と書きましたが、発表では片道1万円でしたので、訂正致します。

また、Air Asiaは基本的にはチケットは片道売りなのです。


追記;Air Asiaについて
設立当初はマレーシア政府系重工業会社DRB-ハイコム 傘下の企業だったが、業績は低迷していた。大手レコード会社、ワーナー・ミュージック のアジア地域役員だったトニー・フェルナンデス 氏は持株会社チューンエア (TuneAir Sdn Bhd)を設立、2001年 12月2日 にわずか1リンギット (約30円)で事実上経営破綻状態だったエアアジアを買い取った。クアラ・ルンプール国際空港 (KLIA)を本拠地とし、格安運賃を提供することでマレーシア航空 の国内線独占状態を破り、赤字会社を2003年から黒字化した。有効座席キロ (ASK: Available Seat-Kilometer)あたりの費用が2.19USセント(2005年度)という破格の低費用を実現している。


クアラルンプール国際空港での搭乗風景

一部の格安航空会社 は、都市周辺の混雑していない空港に乗り入れてコスト削減、定時運航の確保を図っている。エアアジアもクアラルンプール市内に近いスルタン・アブドゥル・アジズ・シャー空港 に本拠地を移転する計画があったが、マレーシア政府に拒否された。


日本への就航

当初の計画では、2008年末に日本の福岡 へ就航、2010年 までには名古屋大阪 など、日本の8~9都市に就航させる予定であったが、機材納入の遅れから就航も延期された。その後、2009年3月に日本へ乗り入れる方針を固め、就航先候補として新千歳空港茨城空港羽田空港静岡空港中部国際空港福岡空港佐賀空港 などを検討している。2008年9月18日、エアアジアCEOのトニー・フェルナンデス氏が記者会見を行い、2009年に日本就航、当初は羽田空港茨城空港 (2010年3月開港予定)への就航を検討していることを明らかにした 。運賃は他の大手航空会社よりも半額程度に抑える予定。就航記念運賃としてクアラルンプール 片道で25米ドル を予定している。

2009年1月、同年内に札幌大阪福岡 への就航を目指していることが明らかとなった

<フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より>


追記:コタ・キナバル

コタキナバル (Kota Kinabalu) は、マレーシアサバ州 の州都。 ボルネオ島マレーシア 領(一般的に東マレーシア という)で最大の都市 、人口は約47万人。


19世紀 末からイギリス による北ボルネオ 植民地開発の拠点として街が形成された。その時はジェッセルトン (Jesselton) と呼ばれた。 その後、第二次世界大戦 中は日本軍 の占領下に置かれた時期もあり、連合国 軍による空爆により壊滅的になった。

1947年 イギリス北ボルネオ の首都がサンダカン (Sandakan) からジェッセルトンへ移された。

その後北ボルネオサバ と改称し、1967年 以降、現在のコタキナバルと呼ばれるようになった。

「コタキナバル」はマレー語Kota Kinabalu と書くため、KK と略される事も多い。

現在はサバ州 の政治経済の中心であると共に、マリンリゾートやキナバル自然公園キナバル山 )への玄関口としても知られている。コタキナバル国際空港 からマレーシア航空成田関空 との直行便を就航している。

<フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より>